随筆・評論 市民文芸作品入選集
入選

「あっは」との出会い
日夏町 赤木 章嗣

 「あっは」との出会い
この題名を見て、皆さんは「あっは」って何だろう…と思われることでしょう。これは我が家で通じる言葉であり、「ベートーヴェンの交響曲第九番を歌う」ことを意味します。この曲は皆さんもご存知の「合唱付き」の曲です。実は私もこの合唱に参加させていただいているのですが、毎回練習に行く時に、
「第九の練習に行ってくる」
と言って以前は家を出ていたのです。そして練習の最初は必ず発声練習で「あっはっはっはっは」っとやりますから、いつしか
「どこに行くの」
「あっは」
で会話が成立するようになりました。
 ベートーヴェンとの出会いは私が小学生(たぶん四年生)の頃、カラヤンという有名な指揮者がベルリンフィルを従えて日本に初来日した時に溯ります。その時の演奏会をNHKが放送していました。何気なしにテレビを見て、たまたまチャンネルを回していてその音楽を聴いた時、全身に鳥肌の立つ思いをしたことを今でも覚えています。その時に演奏されていた曲はベートーヴェンの交響曲第三番「英雄」だったのですが、「この音楽は一体なんだ!」という鮮烈なイメージでした。食い入るようにテレビを眺め、ぐいぐいと曲に魅了されていきました。
 その後、父親に買ってもらった一枚のレコード(交響曲第五番「運命」)を溝が擦り切れるほど聴き、高校生の頃から自分の小遣いでベートーヴェンの交響曲のレコードを順に買い集めていきました。六番「田園」、三番「英雄」、八番、四番、七番、一番、二番、そしてなぜか第九のレコードを購入したのは最後でした。勿論、第九の曲自体は知っておりコンサートにもいきましたが、わざわざレコードを買って何度も聴くということでの優先順位は、当時の私自身の中では低かったのです。
 現在、九曲の交響曲の中で一番好きなのは、やはり最初に出会った三番「英雄」ですが、二番目に好きな曲が変わり、第九になりました。きっと年齢を重ねるにつれ、私の中で楽曲の深みがわかってきたのだと思います。
 第九の深みがわかるにつれ、「是非歌ってみたい」という願望が私の中に目覚めてきました。その頃私は社会人になっており、忙しい日々を送っておりました。忙しい仕事の合間を見つけてコンサートにでかけ、その度ごとに「一緒に歌いませんか」というチラシを受け取りましたが、当時私が住んでいた近隣ではすべての合唱団の練習日が平日でした。仕事の都合で参加できず、残念な思いのまま二十数年間が過ぎていき、「第九を歌えるのは定年後かな」と殆どあきらめかけておりました。
 その後八年間単身赴任していたのですが、漸く家族を呼び寄せて彦根に居を構えることが出来ました。引越しのドタバタも一段階したある日、妻が持ってきた一枚のチラシ。何気なく目をやると、彦根市民の手作りコンサートの案内でした。オーケストラも合唱も市民の手作り。いいアイデアだなと感心して見ていたのです。そして次の瞬間私は歓喜を覚えました。練習日が日曜日。しかも日曜日の夜だけ!これならやれる、私も参加できる。そう思ったのです。しかし、よく見ると練習の開始が九月からになっています。喜びもつかの間、非常に不安を感じました。こんなに短期間で歌えるようになるのだろうかと…。間違いではないかと思い、早々に事務局に電話をいれました。
「九月からの練習で間に合うのですか」
「大丈夫ですよ。常連の方が大勢おられますし、パート別のCDもありますから皆さんそれで練習されていますよ」
 そう聞くと漸く安心することができ、妻と二人で参加することに。無理やり妻を引きづり込んだとも言えますが…。これまでも妻とコンサートには何度も行きましたが、客席とステージでこれほど感覚が違うのかという新たな感動を得ることかでき感激しています。しかも指揮者の意思が伝わってきて、それをオーケストラ・合唱が一体となって表現する…。その素晴らしさを堪能することができたのです。私も通勤途中にCDで練習を積み重ね、何とか歌いきることを目指し努力しました。一年目は兎に角歌うだけで精一杯でしたが、充実した時間を送れました。二年目は指揮者とともに曲の表現も変わりました。一昨年は一昨年の良さがあり、昨年はまた違う良さがありました。毎年毎年それぞれ色合いの違う第九に出合うことができる…、こんな贅沢なことはありません。今年はどんな第九に出会えるかワクワクしながら、私の大好きなベートーヴェンを感謝と喜びの思いをこめて、今年も妻と歌いにいきます。
 折りしも彦根城築城四百年の年、素晴らしい時に巡り合えたと思っております。


( 評 )
 これまで音楽を鑑賞する側にいた作者は、「妻」とともにベートーヴェン第九の合唱団に加わることになって、「客席とステージでこんなに感覚が違うのか」と実感するようになった。自らの音楽遍歴を振り返りながら、彦根城築城四百年の年の第九発表会に向けて新たな期待を綴る。

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