「カロム」
「勝負は時の運」とはよく言われるが、運だけでいつも勝負に勝てるほど世の中は甘くはない。私には六十歳を超えてから始めた趣味がいくつかある。できるだけ初めて挑戦すること、若い時に苦手だったことに挑戦しようと思った。長年勤めて退職という時、何故かちょっとした向上心に目覚めてしまったのだった。
歌が下手なのにカラオケ教室。泳げないのにプールで水中ウォーキング。そしてカロム。ある程度の年齢になってから何かを人から習うというのは、新鮮な感動がある。一方で、今更どうしてこんな緊張や恥ずかしい思いをしなければならないのかと思うことも多い。
私は、夫の転勤で彦根に暮らし始めたので、「カロム」というものを知らなかった。その上、「カロム」は、対戦型のゲームである以上、相手があり、当然、勝ち負けが付きまとうのだ。私は勝ち負けのあるスポーツやゲームがとても苦手だったのだ。
「カロム」は、歴史を溯る資料が残っていない謎の多いゲームである。城下町・彦根に似つかわしいロマンに満ちている。ルールを簡単に説明すると、一辺が約九十センチで、高さが約十五センチの正方形の木箱の四隅に穴があいている。そこに直径二センチほどの平たい丸い木製の赤と緑のバックと呼ばれる玉を、ストライカーと呼ばれる玉で入れていく。赤か緑、自分の色のバックを全て入れ、ジャックと呼ばれる少し大き目の玉を入れた方が勝ちである。
この「カロム」には、毎年、彦根で行われる日本選手権大会がある。県外からも参加者があり、それこそ多くの老若男女が勝利を目指して競うのである。私はこの全国大会に三年前から参加している。それは、老人福祉センターでカロムを始めて十年たってようやく友人にも内緒の大会デビューであった。
ところが、予選リーグを突破することができない。六人か七人の総当たり戦で全勝か一敗の差でないと決勝トーナメントには進めない。ほんとうに強い人は決してミスをしない。そして会場の雰囲気にのまれない。勝ち負けは紙一重の差でも、実力ははっきりしている。自分より強い相手に勝てそうに思える時は、相手が油断している時だけのように感じる。私は二年連続で予選リーグ敗退を喫し、練習を重ねて臨んだ三回目の正直。六勝一敗で決勝トーナメントに進むことができた。
初めての決勝トーナメント、初戦の相手は年齢差六十以上の中学生の少年が相手だった。若い人と対戦する機会は、普段はない。大抵老人クラブのメンバーが殆どである。子ども相手に大人気ないかなと思いながらも、せっかくの決勝トーナメント進出、自分のために是非勝ちたいと思った。しかし少年は、落ち着いていてとても強そうに見えたし、本人も、負けるはずがないというような感じだった。勝負は互角に進んでいったが、勝ちたいと言う気持ちが強かった私は、どんどん攻めていった。やがて少しずつ勝利の女神は私の方に微笑みだし、勝敗が決した。敗れた少年は、はっと顔色を変え大きくため息をつくと、いきなり立ち上がりどこかへ立ち去ってしまった。試合時間はまだ残っていたが、後片付けもせず、「ありがとうございます」とも言わずに。試合時間が終わる少し前に少年は帰ってきて、二人で片付け挨拶をした。
少年は、何故急にその場を離れたのだろうか。負けたことが悔しかったのは当然だが、私のようなおばあさんに負けたのが納得いかなかったのだろう。思い起こすと、試合中も負けていくにつれ焦ったような態度を見せていた。しかし少年がそう思っても当然のことだろう。私の姿は、確かに中学生の彼には、対戦相手としては物足りなく、自分が勝って当然に見えたはずだ。白髪混じりの頭、老眼鏡をかけた皺の入った顔、ちょっとウエストがふくよかな体つき、それからとろとろと動いているのである。自分自身にも充分な自覚はある。少年はきっと私のその姿だけを見て、実力があるのに油断したのだ。負けたことで、彼も自分自身の足りなかったことに気がついただろう。私も、人は見かけや先入観で判断してはいけないということを、この歳になってしみじみ考えさせられた。
「カロム」日本選手権大会は、もうすぐ二十回目を迎える。私は、今年も決勝リーグ進出と更なる上を目指して練習をしている。
その後、地域の中学生の体験学習で「カロム」をする時には積極的に参加するようにしている。勝負には、いつも全力投球を心がけている。それが、相手に対しての一番の礼儀だと思う。また、あの少年と対戦する機会はあるだろうか。今度は本当の実力で彼に勝ってみたいと思う。 |