随筆・評論 市民文芸作品入選集
特選

気つけてかいらいな
京町三丁目 西沢 三郎

 昨年春から「地域で守ろう城東っ子」と書いた黄色い襷をかけて街角に立つようになった。「スクールガード」と言うそうだが児童の登下校の安全見守りの一翼を地域の者も担うというのだ。カタカナの名前はどうもなじめないが、立つて見ているだけならできそうだと引き受けた。
 「おっちゃん、いくつ?」
 「千九百三十年生まれ」「わからへん」
 「百」 「えーほんまか!」
 「嘘や。百ひく二十三は?」「七十七」
 「ピンポーン」
 こんな会話も交わせるようになってきた。
 ある時、茶髪の兄ちゃんが
 「オッサン、そんなん立ってて何の役になるんや?警察やの真似事か。ワシらの仕事を取らんとけいうて警察やがおこらるでー」と笑いながら言った。
 「うんほうやな。何の役にもたたへんかもな。ほやけんどな、あそこにどこぞのおっささんが黄色の襷をかけて立っとるがな、悪い事したら見られてたんと違うかな止めとこうと思うやろ。立たんより立ってるだけでもよいやんか。言うてみりゃ、一種の抑止力やな。案山子みたいなもんか。はは」。
 子供を見守るだけでない。襷に安心されるのか「彦根駅へはどう行けばよいのでしょうか?」と観光客らしい人から聞かれる。
「まっすぐ五〇〇メートルほど行くとどんつきに信号がありますさかいに渡ってから右へ行かはると駅ですわ。気いつけていっとくれやす」「ありがとう」。
 それから一年、立っていて気づいた事がある。
 「気をつけて帰りなさい」
と言った事がないのである。
「気つけていにや」「いにな」「いねよ」
「いない」「いないや」「いないね」
「かえりな」「かえらいね」「かいらいな」
 こんな言葉を声かけしている。子供達に解説したこともないので
「この爺さんけったいなこと言わるな」
と怪訝な顔をされた時もあった。
 その日その時で言い方が違う。またそれが私の幼稚園や小学校の頃の原風景、思い出にもつながるのだと気づいた。
 その一  桶屋のおっちゃんのこと
 幼稚園の帰り道に桶や樽を作っておられる家があった。足の裏に桶や樽を挟んでくるっとまわして箍〔たが〕をとんとしめて回して、とん。リズムにのってみるみる桶の形になっていく。その鮮やかな手と足の協働。見とれていると
「ぼん、気つけていねよ」
もっともっと見ていたいのに。またあした。
 その二  提灯屋のおばちゃんのこと
 帰り道に提灯を作っておられるおばちゃんの家があった。家にもよくこられた、金平糖の好きな小柄なおばちゃんだった。
 提灯の形に細い竹ひごが組んであってそこへ平刷毛にぺたぺたと糊をつけトントン。そして紙をはる。その一部始終が流れる様に淀みがない。見ていて飽きない。飽きないので見とれていると
 「坊、面白いか。ほやけんど、もうかいらいな。気つけてな」「うん、さいなら」。
 子供の頃、店の中から子供達の遊びや動きに目を配ってくれていたということが「気つけていねよ」であったり「気つけてかいらいな」であったりしたのだ。
 それは桶屋のおっちゃんや提灯屋のおばちゃんだけではなかった。怖かった下駄屋のおじさん、生きのよかった魚屋のおっちゃん、靴屋、おもちゃ屋、薬屋等みんなみんな。
 こうした地域の人達の暖かい目があり言葉があったのである。
 さて、近頃の子供を取り巻く状況は常識の埒外の事件が多すぎる。
 だからこそ「スクールガード」も必要だと理解するのだが、反面こうしたことが不要な社会が正常なのだから、一刻も早く彦根の町から黄色い襷が不必要になることを望むという矛盾を抱えつつ立ち番しているともいえる。
 以前PTAの会合で「PとTとAとが協力して教育にあたらねばならない」との発言に笑ったら「笑い事ではない」でまた大笑いしたことがあった。AをC「チルドレン」の意味に誤解されていたのだ。しかし、C [コミュニテイ社会] に置き換えたら、今こそ必要な事ではないかと思う。「PとTとCとが協力して教育にあたらねばならない」これならば「笑い事ではない」。
 こんな理屈はともかく一介の市井の一老人として子供の頃の大人の人への「感謝」をこめて、立てるうちは声かけに行こうと思う昨今である。
 「気つけてかいらいな」「さいなら」 

 万葉の時代から現在も未来も、「子供は宝である」から。
 銀母金母玉母奈爾世武爾麻佐礼留多可良古爾斯迦米夜母 (『万葉集』巻五ー八〇三)


( 評 )
 地域の人たちの暖かな目や言葉の中で、子どもたちは育つ。スクールガードとしての作者と、登下校の子どもたちの会話は飄々としていて面白い。山上憶良の万葉歌が最後に引用され、街角に立つ「おっちゃん」の滋味と深みが滲み出てきた。

もどる