随筆・評論 市民文芸作品入選集
特選

母の着物
中央町 近藤 正彦

 昭和二十年夏。
 寺の境内より聞こえてくる蝉しぐれに夢をやぶられ、僕はむくっと起きた。その肌はすでにじんわりと汗ばんでいる。
 今日は、母と二人で米原の磯まで、じゃがいもの買い出しに行く日だ。
 藤のうば車はゴムが取れかかっているので、父がなわをぐるぐると巻いてくれた。
 母はどことなくさびしげに、父と目くばせをした。「お父ちゃん行ってくるは」僕は家を出た。
 母が、一寸うつむきかげんに押して行くうば車の縁に手をそえて、僕は歩き出したが、車を押すたびにガッタンゴットンと何とも具合が悪い。
 じりじりと照りつける太陽の下、やっと天神さんまでやって来た。「母ちゃん、一寸いっぷくしていこ」二人は竜の口からちょろちょろと出ている水を飲んだ。
 一息入れた処で又歩き出した。
 近江絹糸の長い長いコンクリート塀を横に見ながら、母は黙々とうば車を押して行く。ガタゴトとひびかせながら…
 僕も何とかついて行くが、まるで万里の長城の様に、行けども行けども変わらない風景に、うんざりしつつ、やっと回転橋にさしかかった。左に折れて松原の水泳場に出た。
 お盆過ぎとあって人影もまばら、僕はもう少し、もう一寸と心で叫びながら歩いた。
 そうこうする内に磯の曲がり角の不動さんを見て、村の中に入り目的の大長さんの家にやっと着いた。
「ぼん、よう来たなあ」。
 何ヶ月か前に、夫を南海の空に散らしたおばちゃんが愛想よく向かえ入れてくれた。「いつもお世話になり、おおきに」と言って、母はふろしきを解いた。
 そこには母の着物が一枚、入っていた。
 朝、家を出かけ時、ふろしき包みをうば車にそっと置く処を見たが、まさか母の着物とは思わなかった。
 その着物は、あの日、母と一緒に手をつないで幼稚園の門をくぐった時、着ていたし、小学一年になったその朝も着ていた。
 母にとっても思い出のこの一枚、手放すには忍びなかったが、背に腹は変えられなかった。
 家族みんなの腹の足しに、とって置きの着物をおばちゃんに貰てもらわると思うと、僕は複雑な心境だった。
「さあ、ぼん。さつまいもをふかしたとこや、熱いで気いつけて食べいや」おばちゃんは僕の手にそっと乗せてくれた。
 すき腹に食べたいもは、うまいのなんのって、足の痛さも忘れてしまった。
「お春さん、今日は、じゃがいもとかぼちゃと…」と言い乍らうば車に運んでくれた。
 番茶で一寸いっぷくをした後、「ほな、おおきに」と言う母の声につられて、僕もピョコンと頭を下げた。
 畑のすみで鶏がコッコッコッと鳴く声を聞きつつ、おばちゃんの家を後にした。

 ずっしりと重いうば車を押して行き、やっと回転橋までたどり着いた。とその時、後ろより「ちょっとおばさん 待ちなさい!」。
 その声にはっとふり向くとそこには警官が一人こちらを睨んでいる。「ああっ何か…」「おばさん、それは何や?」と言い乍ら、ふろしきをサッとめくった。
 つい今し方、母が後生大事にとっておいたあの着物と引きかえのこのじゃがいも。
「おばさん、どこでこうて来たのや、これはやみやで」「はい…」「違反やし、せっかくやけど、おいて行ってもらわな、しょうがないなぁ」「すみません。何とか許してちょうだい…」
 僕は母が、いじめられている様な気がしてならなかった。
 ここでとられてしまったら今までの苦労が水の泡。
 どことなくうすら笑いを浮かべる警官の顔を、僕はじいっと見上げた。母が、今にも土下座をせんばかりにぺこぺこと謝っている姿を見て、何故かその場に居たたまれなくなりとぼとぼと歩き出した。後ろをふり返りふり返り…
 やがて回転橋の中程まで来て、欄干のすき間からふと下を見ると、水面がキラキラと光っていた。「どうにでもなれ…」僕はつぶやいた。とその時、後から「正ちゃんおまちどうさん、やっと許してくれやったわ!」
 母の声が聞こえた。

 あの日より数十年、衣食足りて礼節を知ると言う言葉もあるけれど、今や礼節はどこへやら。
 飽食の時代と言われて幾久しいが、好き嫌いの言える今日、それが真の幸せだろうか。


( 評 )
 戦中派ならば、だれもが体験した食糧難時代の思い出話である。訥々とした語り口ではあるが事実のもつ重みがあり、警官の臨検場面などにドラマ性が感じられる。最後の数行には、飽食の時代に向けた作者の思いが凝縮している。

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