小説 市民文芸作品入選集
特選

切々と
日夏町 小林 勝一

一、煮豆屋大工の娘
 両国橋を渡って賑わいの広場を通り抜けると、表通りを汐見橋まで歩き、橋床をからころと鳴らして歩いていると、気分が落ち着いてきた。お初は両腕で抱いた大豆の木綿袋を持ち直して、先刻言われたことを反芻してみたけれど、先ほどみたいに頭がカアーっと熱くなるような気分は消えて、
「仕方ないじゃない。あちらも商売ですもの。」
穀物商の大黒屋の手代のにきび面を思い出して、そう口に出した。母の杉から言われて商売の豆を買いに来て、代金が遅れて溜まってきたので、そろそろ入れてもらえないと困りますよ―とねちねちとした口調で言いながら、お初の体を上からずっと足まで眺めているのを縮むように堪えて、ようやく、出してくれた大豆の袋を重いとも思わず、夢中でこの橋まで急いできたのだった。
 両国橋の賑わいは十九のお初には、刺激が強すぎて、身をすくめて通る。横に守ってくれる者のいないときは、静かにすばやく通り過ぎるのが習いである。母の杉と二人で忍ぶように住まっている通旅篭町の裏通りの長屋。父親は腕の立つ大工だったが、神田鍋町の普請場で棟上の手伝いを頼まれて、大屋根の木組みの掛矢を振っていて、半ちくの手伝いの若いのが担いだ木材が背を押して転げ落ちて死んだ。お初十歳、杉の三十五のときである。杉は西国浪人、西山利三郎の子で市ガ谷八幡宮の近くの裏長屋で父と娘の二人暮しをしていて母親はすでに亡くなっていた。お初の父である貞三はその近所の大工の親方の家に十二から奉公して、いっぱしの腕利きになっていた。浪人の利三郎がそこの人夫で働いていて、大工の貞三と顔見知りとなったのだった。浪人生活が長いと荒れた者が多いのだが利三郎は珍しく純朴な人柄で、物言いはのろまなくらい遅いのだが、惜しまず力を出して働いてくれるので、親方も大事にしていたし、貞三も武士でありながら若い大工に使われて不足も出ず黙々と労働するので感心していたのだった。そんな貞三が利三郎の娘杉と初めて出会ったのは、普請場で職人がごった返えしている折、材を肩に歩んでいた利三郎に二階から瓦が数枚滑り落ちて頭を直撃したことがあって、大した怪我ではなかったが、大事を取って、親方は付き添いに貞三を付けて住まいまで送らせた。そのとき、初めて杉と出会い、その、控えめな淑やかさに好意をもって、後から二度、三度と医師の薬など届けたりして、お礼の言葉とふっくらした微笑みをたまらなく好いてしまったのだった。
 利三郎もいろいろと気を使ってくれる貞三に好意を抱いた。もとより、仕事振りはてきぱきして、腕利きの大工とは承知していた。
 主家を刃傷沙汰で立ち退いて七年が経っていた。酒席で癖のある上役から絡まれ、その場を抜け出そうとして、うかつにもその上司の刀を踏んでしまって、逆上した相手が抜いたので、仕方なくこちらも抜いて、肩の辺りを斬り下げた。深手ではなかったので命は助かったのだが、大衆の前での刃傷は如何ともしょうがなく、両成敗で追放となったのだ。
 備前岡山藩の山廻りの下級武士の生活が代々続いて、春先から秋の深まるまでは山の中の木挽きや植林の人夫と山に寝泊りの生活にも、それなりの安息があって不満ではなかった。そんな平穏な暮らしが一気になくなって、十歳になったばかりの一人娘の杉を連れて、はるばる、江戸までやってきた。亡妻の兄が江戸藩邸にいる。作事の端役だが利三郎とは相性が良いので飛脚で刃傷沙汰の顛末を報せたところ、京、大坂より江戸へ出たほうが行く末、良かろう、なにぶんかの力になろう、そう、温かい書面を寄こしてくれた。家屋敷は藩のもの。家財は売り払って、貯えなど有るものではない。事情を承知の親戚友人の餞別を旅費に西国道から東海道を下ったのだった。
 利三郎の妻は里という物静かな人だったが、一年前に流行の風邪で亡くなっていた。
 父と娘は故郷に別れを告げ、新しい暮らしに飛び込んでいった。利三郎は山歩きで鍛えた全身に大事な娘の杉を育てる決意を漲らせていた。備前訛りで訥々と話す利三郎は江戸の町民に好感を持たれ、武士だといっても遠慮などしない町の雑多な暮らしに急速に慣れ、新鮮な気持ちで日々を過ごしていった。
 義兄の骨折りで、藩邸の近くの一軒家に住まったが、三年経って貰い火で焼け出され、今の住まい、市が谷の長屋に落ち着いたのだった。その頃には、利三郎は侍奉公など、すっぱり諦めていた。口入屋に申し込んでおくと人夫仕事はいくらでもあった。
 山で鍛えた頑丈な体もある。温和な性格は誰にも好かれた。藩士であった頃でも、武士の間に居るより、山で木こりや猟師と混じっているほうが気が休まった。職人たちが賑やかに話すのを黙って聞いている。
「利三郎さんも・・・」
時に、何か話をと、求められると大きい手を振って、
「わしゃあ、のう・・・」
にこにこしながらそう言うのだった。
 ある日、利三郎は今まで押入れにしまっておいた両刀を取り出して日本橋にある刀剣商へ行き、売り払った。家代々の備前物の業物である。高く売れた。刀屋の主人が、良いものお持ちですー驚いて、手放すのは惜しい。
いま少しお持ちになれば・・・商売を離れて勧めてくれたのだが、利三郎は笑って
「わしゃあ、武士をやめるけん。」
さばさばしていた。娘の杉に大工の貞三が思いを寄せ、杉も優しく思いやりのある貞三を好いているのが判って、
(いいじゃないか・・・)
好感を持ってみていたが、貞三のほうが、杉に打ち明けられられないのが判って、
(武士の娘だから遠慮があるのだろう)
そう気づくと、考えた末、出た結論が両刀を手放して町人の中で暮らしていくのだという、決意を示したのだった。
 刀を売った代金は十両とちょっとあった。
 月初めの職人が休みの日に利三郎は大工の貞三を招いて、酒と肴を振舞った。いつも世話になっている礼だといって、名の売れた料理屋から買い求めた品を揃えて、しきりともてなした。驚いている貞三には、
「侍を止すことにしたけん、これからも仲良うにしてつかあさい。」
そういってにこにこしていた。
 しばらくしてから、貞三の勤める店の親方が仲人として利三郎の許へ正式に申し込みに来た。相手が武士の娘だからと遠慮するので
「なに、わしゃあ、侍はやめましたけん。本人どおしが好きおうちょれば、なあんも、ゆうことありゃあせん。」
にこにこと承諾した。杉には刀の代金の十両を持参金に所帯を持たせた。
 杉も貞三も同居しても良い、そう言ってくれても、
「わしゃあ、ひとりで十分。なんも、心配ごとあるものかい。」
若い二人を追い立てるようにして通旅篭町に新しく出来た長屋を借りて住まわせた。
 貞三、二十八、杉の二十三の時だった。翌年、生まれたのが女の子で、初めての子だから、お初とした。あと、男の子を二人は貰いたいね、と貞三がお初をあやしながら目を細めてよくそう言った。杉は色白のほっそりした体を産後の窶れに痛々しく見えても、子を持った母の満ち足りた表情は慈愛こぼれるばかりであった。利三郎は休みの日とか、仕事場の帰りには立ち寄って、赤子をあやして、盥の湯で器用に入浴させたり、むずかるとたくましい腕で眠るまで抱き歩いた。利三郎は妻の面影の似通ってきた杉が幸せそうに暮らしているのを何より喜び、気持ちがさっぱりした貞三の優しさにも目を細めた。
 赤子はすくすく育った。流行り病にもかからず、母親似の、眉のあたりが爛漫と伸びやかでふっくら色白の心優しい女の子になっていった。そのころには貞三も親方から独立して、一本立ちの大工で、給金を貰うのじゃなく、請負の仕事をやるようになっていた。
 仕事は親方から廻された下請けの場合も有るが、直接に依頼されることも増えてきた。
 貞三の丁寧な仕事振りに得意が付いて来たのだ。まだ、作業の出来る仕事場を持つのは無理なので、材木問屋の大きい敷地の隅を使わせてもらい、丸太小屋みたいなものであるが、そこで、請負仕事の材の刻みや、念の入る作業などをして雨の日はもっぱら、作業の小屋にこもって、せっせと汗を流した。お初は時に良い日和だと父親が作業場にいるところへ、母の杉と弁当を届けて、母が帰っても自分は貞三の作業場で遊ぶのが楽しみだった。
 次の子を貞三が望んでいるのに、いっかな気配もないままに、お初は十歳になった。
 表通りを一町ばかり南へ歩くと静観院という小さな尼寺があり、庵主が西国福山の出身とかで、二、三人の身寄りのない娘を院に住まわせ、自身は近所の子供たちに読み書きを教えていた。子供の数が少ないと、すこし年の上の娘や裏長屋の女房たちにも裁縫など教えて、礼金などすこしも求めず、慈母のように慕われていた。いつぞや、杉が尼寺の前を通りがかり、門の内から子供に話している庵主の言葉に西国の訛りがするのを懐かしんで、不躾ながら、と自分が備前のもので、つい、聞き及んだ、ただ今の言葉が懐かしくございましたので、そう、正直に話したところ、丁度、一服の時刻ゆえ、お茶を一緒にと招かれて、質素な庵主の部屋で二人きりで話をした。杉と名乗っただけで、他のことは一切聞かれないし、庵主も語らない。岡山のことを思い出してはぽつぽつと語るのを熱心に聴いてくれた。帰り際に、裁縫が習いたければおいでなさい。そういってくれた。
 貞三に話すと、
「その尼さん、滅法、縫い物が巧いという話は聞いているよ。随分と優しいお人らしいぜ。」
そう言って、裁縫を習うように勧めた。お初にもいろはを習わせなくちゃと言って、次の日には砂糖と真っ白の木綿布を手土産に仕事から帰ってきた。
「亭主がいて無給で習うって法はない。僅かでも月々お払いさせてもらおうよ。取りあえずは、挨拶にこれをもって行くさ。」
貞三の優しさは杉を温かくさせた。その貞三が不慮の死を遂げる一年前のことである。

二、死
 あっけなく人は死ぬものである。ふいと、居なくなるのだ。元の親方のところで一緒に大工をやっていて、貞三より早くに独立していた兄弟子が、油屋の蔵を請負った棟上の応援に若いもの二人も連れて朝早くに元気に出かけて行って、夕方、まだ日が高いうちに、大八車に布団をすっぽり被せて冷たくなって帰ってきた。杉はお初を連れて静観院へ習い事に出ていた。二日に一度、習うことになっていたのだ。その日の授業を終えて、八百屋に廻り青物と夜の魚を求めて二人が長屋へ帰ってくると、人だかりが出来て二人を見るなり、近所の女房が二、三人、急いで駆け寄って、中でも親しくしているお勢という白魚捕りのおかみさんが、
「お杉さん、まあ、お初ちゃんも・・・」
声が上ずっていた。涙が浮かんでいた。お勢は二人を両手で抱きかかえるようにした。
中から腰高障子をいっぱいに開いて兄弟子が飛び出してきた。杉も良く知っている顔だった。沈痛な表情を浮かべていた。
「済まねぇ。お杉さん。」
深々と頭を下げて、彼は言った。
「なんだい、親方。早く貞三さんに会わせてあげなくちゃいけないよ。」
お勢に言われて兄弟子は入り口から脇へ退いた。杉は血が引いていく思いで土間へ入った。畳の部屋に貞三が目を瞑〔つぶ〕ってぴくりとも動かなかった。見たことのない薄い布団が掛けられている。初が泣きながら父親に取りすがった。杉もぼろぼろ涙をこぼした。何も聞こえなかった。幸せが遠ざかる音がした。表通りを行く飴売りの叩く鐘の音かもしれない。
しばらくして杉は口を開いた。
「お勢さん。済まないけど、布団をいつものと変えるから手を貸して・・・」
見たことのない布団に眠る夫がすごく可哀想に思えた。毎夜、寝ているのに取り替えるとすこし落ち着いた。
「お勢さん。お湯を沸かしてくださいな。」
体を清めて新しい肌着に変えるつもりだった。報せを聞いて父親の利三郎がやってきた。
 百目蝋燭を五本も買ってきてくれた。行灯の油に菜種油を五合買って灯心も新しいのと変えて、せめてもの親の気持ちで部屋を明るくして浄土へ迷わず行けるように整えてくれた。次々と人がやって来た。町役人は一応、事故の状況を兄弟子に聞きただし、貞三の背に担いだ材木をぶつけた若い者も調べられたが、その若者の属する親方と共に厳重注意とし、身柄は親方に預けて出会い丁場への出入りを禁止として詮議は終えられた。
 貞三は両国広小路手前の薬研堀埋立地の傍の寺に頼みに行き、弔いを済ませて手伝いの人たちが引き上げた後は、二、三日、利三郎は泊まりこんでくれたが、仕事の都合で一旦帰っていった。その頃は利三郎は普請場の基礎地形を任されて人夫を差配して基礎石を並べたり、縄張り遣り方を大工と打ち合わせまで出来るようになっていたので重宝がられて、あちこちと出入りをしていた。それも、人柄の良さが気に入られているのだった。江戸の町は火事が多い。あっという間に数十軒が灰になる。
 表通りの大店はそういう不測の事態に備えて普段から大工を抱えて、いざという時には素早く新築の出来るように用意をしておくのだった。利三郎は岡山での長年の山廻りの仕事で材木の種類や性質、用途なども学んでいたのと、土木地形にも明るかったので、複雑な地形の普請場などでは彼の意見を聞いてくる親方もいた。砂、粘土が風化した赤土の土壌には小砂利を入れてつき固めるなど、経験を生かして的確な指示を出してくれると信用されていた。貞三は皆に好かれていたので葬儀にこれなかった人たちがやってきては、小さい仏壇を拝んで思い出を語って、その度、杉は目を潤ませて、突然の不幸を嘆くのだった。
 利三郎の仕事が一区切り付いたので、家財道具一式を大八車に山盛りにして通旅篭町へ引っ越してきた。秋の終わりの抜けるような日で貞三が死んでひと月が経っていた。
 杉は働き者の夫の貯えが残されたから、たちまち生活に困るようなことはなかった。
 それでも、母と幼い娘の暮しはいかにも心細げで、利三郎が同居してくれると、これほど安心なことはなかった。
 見習いで働いていた二人の若い者は元の親方に引き取って貰い、二軒続きで借りていたその後へ利三郎は入った。普段は利三郎は仕事に出る。杉と初は昼を済ませると静観院へ行って夕方まで習い事を続けた。杉のほうは、生母と幼いうちに死に別れているので、読み書きは利三郎に教わっていたが、針仕事は何もしていない。雑巾縫いぐらいしかしていなかったのだが、庵主は一から手ほどきをしてくれた。足袋の底の形を整えるのから始めて厚地の底の縫い付け。足袋はいかほど有ってもいいのですと来る日も針を動かして退屈することもなかった。初は、いろは、は杉から教わっていたが、静観院では百人一首から始めて次第に難しくなるのを無心についていって、その素直なところを庵主から誉められていた。女はひらがなだけで十分と言われていたが、これからは学問を身に付けて聡明な生き方を選ぶのも、また、新しい生き方であると、庵主は言って論語の素読をも始めるのだった。
 庵主は何も話さないのだが、出身は福山の身分ある家の息女で藩主の遠縁に嫁いだのだが、夫の暴力が病的なものであるのに限界となり、絶望して広島へ逃れて、知る辺の尼寺に身を寄せて、出家し、尼僧の修行を終えて、その後、望んで故郷を離れ、遠い江戸の無住のこちらへ赴任してきたのだと、あるとき、住み込みの小女が噂した。杉も一度、盆前に寺のすこし手前で篭が止まり、立派な身なりの武士が庵主を訪ねてきたのを見ている。生家の縁者で藩邸からときに訪問して、悲運の息女にせめてもの物質の援助など行うのであろう。庵主は相当な教養を身に付けていた。手蹟も見事だ。水墨も巧い。裁縫なども、どこで習ったか玄人のようだった。初は母と祖父との三人の生活に緩やかに育っていった。父のことは町で紺の半被の職人の背が父に似通っていると、どきん、と見守ることがたまにあった。胸がどきどきして、父恋しい想いが突きあがってきて、澄んだ涙を溢れさせた。
 江戸の暮らしは目まぐるしい。外国の黒船がやってきて世間が大騒ぎしたかと思えば、大老が襲撃されて討たれるという大事件が起きる。尊王攘夷の嵐が吹き荒れる中で、通旅篭町の長屋で静かな暮しを続けていたのであるが、頑丈だった利三郎が突然倒れた。梅雨の終わりの蒸し暑い夜。厠を出たところで頭を抱えて蹲った。建具屋のかみさんが見つけて部屋へ運び込んだ。口を半開きにして鼾をかいている。日焼けして血色も良く、大あくびしてむっくり起き上がりそうな様子だったが、翌日、医師の往診で明日、明後日が峠、治っても寝たきり、むごい宣告であった。
「お父っさん!お父っさん!」
杉と初が耳に叫んでも鼾を返えすばかりであった。何も口にしないので粗目の綿布をもみしだき、水を浸しては口に滴の潤いを与えるばかりであった。三日目に鼾が止んだ。医師を呼ぶまでもなかった。誰かが手鏡をあてがって息を確かめたが、そのまま手を合わせた。
通夜は近所の人たち、仕事の関係者などで狭い部屋は溢れた。読経が終わり、僧侶を送り出すと、杉は集まってくれた者たちに丁重に礼を言い、後は母子で見守る旨を言い、二人は枕元に坐った。杉は父が故郷を出てから国の話はしないのだが、近頃はぽつぽつと岡山の話題を出すようになってきたのは本当は父は故郷に戻りたいと望んでいたのだと思うと、父がよく言っていたことを語りかけた。
  「お父さん。出来ることなら、わたしと初を連れて吉備のたかはら、弥高山から見下ろす稲田の美しさを見せてやりたいといいましたね。大蛇のうねりの大川の曲がる渦巻く深い谷のぎざぎざの岩と緑のどぎまぎする奇麗さを、そしてまた、鷲羽山から夕の凪に鏡のような瀬戸の海べ。両の手で翳しても数え切れない奇麗な島々。全部、宝の島だと。江戸に育った二人には見せてやりたいものだと。お父さん。杉はお話を聞いただけで、その景色は見えてくるのでした。連れて行ってくれなくてもお父さんがおっしゃるのだもの。きれいに決まっています。でも、いつか、わたしや初が岡山に行くことが出来るのなら、その折りはきっと、お父さんの好きだった場所を訪れてまいります。お父さん。ありがとう。ずーっと長い間、私たちを守っていてくれて、本当にありがとう。どうぞ、安らかに、どうぞ、魂は大好きだった岡山へ。美作や吉備の緑の谷間へたどり着きますように。お父さん、お父さん・・・」
 切々と、いま、杉は語りかけた。それはまだ魂の遊離しない間に自分たちのすぐ傍に存在するものと信じて魂に向けて切々と語りかけるのだった。初はこのように一途な母の姿を初めて目にした。祖父と母の絆に胸を打たれた。そのような母の姿に熱いものがこみ上げてきて声を放って泣いた。

三、煮豆屋
 利三郎は六十八で死んだ。若いころから山歩きで鍛えた体も頭の栓が切れたのだから仕方ないと、周りは慰めてくれる。判っては居ても気落ちするような寂しさだった。杉は四十三で初が十八だった。静観院は変わらずに習い事を教えていた。杉は縫い物に熟達していて、院が頼まれる襦袢や羽織なども十分な仕事が出来るようになっていた。よそより安く、丁寧な仕上がりに静観院に注文する者たちが増えていった。隣の父が寝起きした部屋で、持ち帰った反物を広げて縫い箱を前にしていると落ち着いた気持ちになるのだった。初は仮名文字から漢文まで習い、新古今集なども教わるようになっていた。そんなときに仲の良いお勢が遊びがてらきた折、この先の煮豆屋のお高さんが神経痛の酷いのに身動きならなくなって、八王子の娘のほうへ引き取られて行き、煮豆屋を続ける人が居ないかと、大家さんで探していなさる。どうだい、あんたのところなら、縫い物しながら、煮豆を売ったらいいじゃないか、当節、世間がひっくり返ってる、平らな時節なら格別。今日この頃なら町中忙しく駆け回っていて家で飯の菜まで手が回らない。安いし、腹持ちの良い煮豆は人気が高いのさ。やってみないかね。お杉さん。お勢は根っからのお人よしの世話ずき。とんとんと話をまとめてきた。もとより、お杉や利三郎の今までの信用があってのことである。初にも聞いてみると、やっても良いという。そこで、お高さんのやっていた長屋へ行って、大家さんに話をして、残っていた大豆、黒豆、小豆を袋なりに大八に載せ、鍋を五つと大鉢を十個、小売用の包み紙と上包みの竹の皮の束。炭俵が三俵と少し。炭の粉をふのりで丸めた炭団の袋。大徳利の醤油。土鉢の粗目糖。塩。秤と水差し。お勢は目に付く使えそうなものは大八に積み込んだ。
 大家の老人は気持ちだけでいいから代金を貰いたい。お高さんに届けるのだと言うと、お勢が二分でどうかね大家さん。お高さんの身の上も承知だから値切りはしないよ。江戸っ子らしくさっぱり言った。
 お勢の口利きで煮豆屋の道具は揃った。帰りに、白地に朱の字で煮豆売ります、との旗竿も貰って荷物は利三郎のほうへ入れた。
 豆を煮るだしにお勢は白魚獲りの亭主にハゼやキスの干物のくずれて売り物にしないのを貰って帰ってきて、だしをとり、みりんに砂糖、醤油、塩など分量を量りながら良い味の出るよう、何べんも繰り返して、味付けに手間をかけるのだった。いろいろやってみたが、結局、お高さんが煮ていた味と変わらないところで落ち着いた。初が煮豆のほうは主にやることにして、杉は縫い物で手間を稼ぐ。だしをとったり、煮たりすると木綿物などは特に臭いが移るから、杉たちの部屋で煮炊きをして売るほうは利三郎の部屋にした。
 腰高障子に煮豆と墨で大書きしたのは初である。近頃、伊勢物語や源氏物語まで進んでいて、勉学に熱心であった。書ものびやかでいて、締まるところは凛としていて、庵主は手蹟を誉めてくれる。玄関を入って土間から畳一枚分にちょっとした棚を置いて、そこへ、大豆や黒豆の一合分の小さい包みを竹の皮で小ぎれいに仕上げて幾つかを用意しておく。
 棚の向こうは屏風を立て、その奥に杉は縫い物を広げて、初も木綿足袋の特注ものの針を使い、客が見えると屏風の向こうから前へ来て相手をするのだった。初は一人っ子で育ったせいか、人見知りするたちで、たいがい、陰に隠れて様子を覗く臆病な面があったのだが、最近になって、ようやく、他人とも話せるようになってきた。初は母に似て色白で手足は並みより長いほうで、すらりとしている。髷に平打ちのかんざしがよく似合う。単の立ち姿は絵になるよ、そうお勢に冷やかされていた。煮豆は結構売れた。職人が竹篭の弁当箱に飯を詰めて梅干し二つで菜に豆を一折買っていく。朝の出掛けだから、初もそれに合せて早起きになっていた。夏の間は売れ残りは腐るので余分にこさえないよう気を遣うこと、味は濃い目にしようとか、母と話しながら楽しんでいた。午後は夕暮れまでは暇なので、その間、母に見てもらって静観院へ勉強に行く。世情が騒がしく殺伐になったせいか、町の空気もぎすぎすしているようで、静観院までの距離も小走りになってしまうのだった。いつまでたっても近所の娘のようにしゃきしゃき振る舞うことは出来ないでいる。それでも静観院に入ると、今は何人かの子供たちに仮名手本を示し、習字の練習をさせていた。
 世の中の空気が新しい時代の来るのを感じているのか、字を習い、絵を描き、裁縫を覚える、そういうことに親が積極的になっていて、幼い女の子の親がひらがなの次には漢文も教えて欲しいと頼むようになっていた。
 庵主のやり方は変わらず、町人の子供でゆとりのない人からは何も求めずに、にこにこと笑っている。院に住み込んでいる娘は五人になっていた。着物の仕立ては棒手振りが反物を担いで頼みに来ても、小女に引き受けるように合図した。通常の値の半分ほどで受けているのだが、杉の仕上げたものに付いては縫い賃を貰えただけ渡してくれた。杉が遠慮して口銭を取ってくださいと言うが、院はこれでやっていけますと受け取らないでいた。
 町内の鳶の頭の末娘が手習いに来てから、庭の手入れや縁側の板のめくれなんかは若い者を連れてあっという間によくしてくれた。
礼は受け取らないで一服のお茶でさえ遠慮していた。裏庭の日当たりの良いところへ季節の青物を植え、小女が順番に水遣りなど手入れをして皆の食するほどには足りないが、それでも無為に食する、というのを極力さけて、出来るだけ働いて賃金を生活資本にしていた。ある日、日本橋堀留の呉服屋がまとまった数量の仕事を持ってきた。イギリスの商船の貿易商から大量に注文を受けてしまったので、静観院の方でやって欲しいと頼みに来た。
 この店は庵主の出身の福山藩の江戸屋敷に出入りしていて、すでに、二、三度、縫い仕事を引き受けた相手で、この度も庵主の縁者に頼んで何卒お願いしたい、そう言ってきたのだが、院の方も寺の基本の修行もある。仏に仕える勤行も教本の勉強もある。それらを粗略にして着物ばかりに皆が掛かりきりになれない。断ったが、ならば、一部のみでいいからお願いしたい。実は外国相手に商売をすると攘夷浪人の血気なのが天誅と大刀を抜いてくるやも知れない。それだから、どこの縫い方でも良いとは言えぬ。どこから漏れるやも知れぬ。だが、庵主さまのところなら、まず安心です。どうかお願いしたい。呉服屋の主と番頭が頭をこすり付けたのには参りました、と後で庵主が杉にこぼしたことである。
 結局、一部を引き受けてしまう羽目になったが、羽織、半天、袴はこちらで何とかします。庵主さまのところは振袖長着、紋綸子に桃山風の繊細な絵柄、鶴に松梅宝船、染め、刺繍、金銀の箔ずりがイギリスのご婦人を仰天させますでしょう、と、仕立てに念のいる、難しいが遣り甲斐のあるものばかりを二十着ほど反物を運び込んできた。杉も五着分割り当てがあった。小女は五人いても二人だけしか長着は縫えない。つまあげやふきを丸みをふっくらみせるのは、やはり、年季のいることであった。一着分ずつ風呂敷包みで家に帰り着くと、やれやれと大きく息をついで肩がぎーんと張ってくるのだった。
 真夏の燃えるような太陽が静観院の庭の海棠〔かいどう〕の影をぎざぎざに黒く見せて、初が残りの子供にいろはがるたを使うひらがなを教えていたとき、にわかに空が暗くなってきて、雷が初めは両国の先に鳴っていたのが、段々、近くなって一面暗い空に稲妻が走り、雷鳴が轟いた。子供たちは部屋に突っ伏して、庵主はその中心に坐っている。雨戸を立てる間もなく、ざあざあ降りの夕立が続いた。半刻ほどで雨が上がると、先ほどと、打って変わってさっぱりした日差しが舞い降りた。初が終いの子の手習いを終えて、院を出たときは長い日も暮れかかって、日本橋のほうの空に赤みを残しているのが足元を明るくさせていた。路がぬかるんで、ともすれば、水溜りへ踏み込みそうで下駄の先に気をつけて歩いている前に急に人が立ちはだかった。「あっ!」 驚いて顔を上げると、人足風の腹掛けだけの男が三人。酒臭い息を吐きながら、
「よおっ、姐さん、急いでどこへ、行きなさる?」
「急ぐこともあるめいよ。夜道は暮れやしないぜ。ちいっと、俺いらたちに付き合うて貰らえねえか?」
火照った顔が赤黒い。酒が廻ってふらついたのが三人取り囲んでいた。先ほどの土砂降りに降り込められて仕事は放り出し、居酒屋の雨宿りで出来上がったに違いない。
「この先で飲み直すから姐さんに酌を頼めねえかと、こう、思ってるんで、俺いらたちはよ。なに、長くは言わねえ。ちいっとだけ」
一人はいきなり腕を掴んだ。
「いやっ!」
初は悲鳴を上げた。手本を包んだビロード袋を胸に当てて、振り払って逃げ出す前に男が立ちはだかった。路行く人は荒くれの様子に恐れて助けてくれようがない。遠巻きに近所の子供たちが三人ほど見物している。
「これは預かるぜ。」
手本や教材の袋を初の手からむしり取って、逃がさないように取り囲んで向こうの居酒屋の赤提灯に連れて行こうとしていた。
その時、前から来た一人の侍がすれ違うときに初がすがるような声で
「助けてください!」
夢中で訴えて掴まれている腕を振り払おうとばたばた暴れるのを見て
「いかが致した?」
向き直って呼びかけた。
「なに、なんともありやせん。お侍、どうか、ずっと、行ってくだせえ。」
かしら株が答えた。武士を相手でも恐れる風もなく、邪魔だから早く消えろ、そんな態度を露骨に見せた。侍はにこりと笑って
「お前に聞いているのじゃない。わしは娘さんに聞いたのだ。」
落ち着いた声で話した。人足の頭は正面から侍を睨み付けて
「行けって言うのが判らねえかい!」
元より粗暴な連中がしこたま酔いが廻っている。女を無理強いに連れ込んで飲むのも、侍相手の喧嘩も、どっちも来いのやくざな血が騒いで三人は向かってきた。

四、若い血
 三人とも喧嘩慣れしている。一人の侍を三方から囲んで、正面の頭分が殴りかかってきた。日焼けした太い腕を暑気を払うように振り回したが、ひょいと難なくかわして、勢いあまって前のめりに崩れる横っ面へ拳の一撃で頭から地面に突っ込み 「むむ。」 呻いて動けない。背後から一人が体当たりの勢いで組み付くのを横へ飛びながら足を飛ばした。雨上がりの路上へ勢いよく飛び込んでそいつは泥まみれで呻いた。三人目に向かって身構えると、その男は後ずさりする。ぐいと前へ出るとその分身を引く。目の前で二人が地面に這うのを見て、さすがに臆したか立ち竦んでいた。
「来るか」
一喝すると男は両手を前に広げて
「止しにしまさあ。」
おとなしい声を出した。侍は頷いて
「ならば、早々に立ち去るがいい。だが、念のため言っておく。わしは市ガ谷柳町、直参、旗本、大月淳二朗と申す。酔いが醒めても意趣が残れば、尋ねて参れ。」
爽やかに言い放った。腕に格段の違いがあるから仕方がない。特にこの時期、旗本も諸藩の武士も武芸に身を入れていた。幕臣は西国の討幕派との戦は起こるものと見て日夜鍛練をしている。御家人大月淳二朗も道場の帰りだった。人足は泥を払いながら元来た路を引き返していった。路の端に立ちすくんでいる初に侍は近寄った。
「大事ないか?」
優しい声で訊いた。精悍な顔に歯が白い
「はい。大丈夫です。」
初は答えて恥じらうように下を向いた。侍がすぐ前に来たのでうろたえてしまう。
「家は近いのか?」
「ええ。この先です。」
「だいぶ暮れてきた。近くでもわしが送ってあげよう。あの連中がまた来たらいかんからなあ。」
「・・・・・」
「わしは先ほども名乗ったとおり、直参の冷や飯食いの次男坊でな。なに、暇は売るほどあるゆえ、遠慮はいらん。さあ、参ろう。」
初を促して歩き始めた。長身で肩幅が広い。日焼けして精悍な顔が若々しい。二十五、六か。笑うと目が細くなり、優しい表情になる。両国へ芝居を見に行っての帰りだと話した。
「いくさになる雲行きでな。今のうちにすきなことをしておかないと・・・」
「まあ。いくさ、ですか?」
初は驚いて、思わず聞き返した。長屋のおかみさんなどは徳川の屋台が揺らぐものかと信じている。それでも幕府方の軍が長州征伐に負けて退却したと聞いて、不安が江戸市民に行き渡っていた。初が情勢に何も知識が無いのをみて、淳二朗は現在の幕府と西国諸藩の対決や力関係について、わかりやすく説明して、
「この江戸がどうなるか。わしら幕臣もとんと判らん。まあ、いくさとなれば行かねばなるまい。」
あっさり言って笑った。白い歯が暮れかかる残光に白く光った。家に着くまで淳二朗は快活に話し、初は受け答えに精一杯だった。
 長屋の入り口で、ここで結構です。すみませんでしたと礼を述べた。家の前の煮豆の看板を見られるのが恥ずかしかった。
「そうか。」
淳二朗はあっさり言うとくるりときびすを返した。すっかり暮れてしまった中を去ってゆく男の背を見送ってどきどきしていた。若い男と二人きりで歩くのは、ついぞないことで、落ち着いた物言いが出来ないのが、恥ずかしく悔しかった。それで、家に帰っても母にはそのことは黙っていた。
 二日後に昼すぎから静観院へ行って、帰りは普段どおり七つ過ぎの日差しの降り注ぐ中を、門を出て踏み出そうとした時、
「初どの!」
不意に門の先の海棠の葉陰に陽を避けていた大月淳二朗が若い声を掛けた。
「あれっ、大月さまー」
初は驚いて振り向いた。
「驚かしたか?済まぬ。」
おりからのまともの日差しに目を細めて淳二朗が照れくさそうに近づいてきて
「いやあ。昨日はおらんかったな?」
「ええ。一日置きなんです。」
「そうか。わしは毎日と思うとった。」
「あっ、あたし、言わなくて・・・」
一昨日の帰り道、静観院に手伝いに行っていることを話しておいたのだ。ただ、通ってはいるが一日おきとか詳しくは話していない。
「なに。あの連中が来やせんかと思うてな。」
「はい。あのう、その後は何も・・・」
「いや、それなら良いのだ。あの者たちも酔うておったゆえの狼藉か。醒めれば、あのような馬鹿な真似はすまいと思うが。ただ、江戸の町も勤皇方と幕臣で睨みおうてる。武士も町人も殺伐としてきた。油断がならぬゆえ、様子を見に来たのだ。まあ、折角だから、家の近くまで同道してあげよう。もっとも、お初どのが迷惑なら退散してもいいが・・・」
「いいえ。勿体ない。迷惑なんて」
「ならば参ろう」
淳二朗はにこりと嬉しそうに笑って先に立った。今日は陽が十分に高く、人通りもあるから初は一歩後ろを歩いた。淳二朗はそれでも、木の陰、土蔵の黒い影を拾うてゆっくりと初の歩調を考えて歩む。一昨日の長屋の口まで来た。それじゃ、とあっさり帰る背に
「あのう。良かったら、うちにお寄りください。母にお引き合わせいたします。」
初がおずおず言う。煮豆屋のことは頭から飛んでいた。予期せぬ出会いに気持ちが上ずってしまっていたのだ。その大きく墨の大書した腰高障子まで来ると、ちょっと待ってもらい、杉に手短に訳を話した。それから中で杉が礼を言い、淳二朗も珍しそうに周りを見て、煮豆を置く棚の脇から屏風をずらせて、縫い物を広げたのを片寄せて、そこで、茶を一服してもらうのにも、衒うこともなしに、大きい体で雰囲気に溶け込むのだった。
 彼は長居せず、茶を飲むと礼を言って
「母者、また遊びに来てもよろしいか?」
目を細くして杉の許しを貰うのが先だった。
「はい。このようなところでよろしいのなら。」
杉は笑っていた。武士の娘だったので臆していない。亡き父の仕えていた岡山の役宅にしょっちゅう武士が来ていた。四角張った挨拶と田舎くさい身なり。この御家人のさっぱりした物腰に気取らない口調。どうも初に好意を抱いているようである。人柄は良さそうなのだが、やはり、幕臣であるのがこの先、どういう具合に幕府が動くのかによって違うだろうし、場合によっては生命にも関るかもしれない。初もこの淳二朗という男に魅かれているのがわかるだけに母には不安なのだった。

五、切々と
 それ以来、大月淳二朗はこの裏店に時々顔を見せて、大概、何かの手土産をぶら下げていた。風月の団子だったり、万勝のキスの天ぷらだったり、勧められると一緒に飯を食うようにもなった。初は淳二朗が来ると何気なく振る舞ってはいるが、内心の喜びが目の輝きや、表情に出て杉は可愛いと思うのだった。
 淳二朗が初を好いているのも間違いはなかった。そうでなければ、わざわざ、会いに来るはずもない。似合いだと思う。一緒になればいいだろう。この男なら、初を大事にしてくれるだろう。娘の幸せを願うのに一抹の不安は世の中の体制にある。国の秩序が大きく変わろうとしているのは、町人にも感じていることだった。勤皇諸藩対幕府の対立が目前に迫っている。彼は幕臣で血気の年頃だ。戦となれば行くだろう。生死も不明の戦争に残る初はどうなるのか。他にも杉の心配は続く。自分のからだに異変が起きたようで、それも不安だった。縫い物を続けると肩が凝って、たとえようもなくからだがだるい。夕方になると微熱が出るようで夕食の支度がとてもつらい。先日来の急ぎの仕事に根を詰めたので疲れが溜まったのでは、そう思うのだが、自分の体には自信が持てないのだった。小さい頃から虚弱なたちで、父は頑丈な人だったが、母のほうに似てか脆弱なまま、こんにちに至っていた。慶応四年の正月には淳二朗も来てくれて、ささやかに酒宴を用意して祝うことが出来た。初もすこしの酒に上気して珍しくはしゃいで、淳二朗も心から楽しんでいた。
 旗本といえども無役の身で兄の一家に居候の立場は気詰まりに違いない。
「大月の家でも誰か一名は幕府の軍に参加せずには置かない。まあ、わしが行くことになるだろう。」
目出度い正月の膳の終わりにぽつりと彼が漏らした。そして、その心配が現実となった。
正月以来、ぷっつりと彼は姿を見せない。
 勤皇方と幕府方の戦争が始まったのだ。杉と初の母子の弱い胸が震えるような噂ばかり聞こえてきて、初は可哀想なほど元気を無くしていた。彼からは何の便りもない。生死も判らぬ。幕府方の負けという話が伝わるとまた心配で初のか細い胸が破れるほど案じているのだった。そんな寒い朝、外の厠で杉が喀血した。大量の血を吐いて倒れたのを長屋の住人が見つけて部屋へ運んでくれた。医者が来たのは昼前で労咳と言ってそそくさと帰った。
 幕府の命令で医者を戦地に行かせているので、江戸に残った医師が減って多忙を極めているらしい。そんな噂を長屋のお勢が教えた。
 杉の病状は余ほど進行していたと見えて、もう起き上がることが出来なくなっていた。
 医者も薬は滋養になるものを食べなさい。出来れば暖地で養生するほうがよいのだが、それものう― 医者が嘆息しているのだった。
 初は静観院へ出向き、事情を述べて母の手掛けている着物を返して、介抱のために来れなくなる旨を話した。帰りがけには涙が溢れて、庵主がひしと抱きしめてくれたとき、声を放って泣いた。煮豆のほうは続いて初の受け持ちだったから、差し支えなしにやれたのだが、杉が労咳と聞いて客足は遠のいた。お勢だけは変わらず、小魚や天ぷらなどを運んでくれてはいたが前のように上には上がらずに、すぐ帰るのだった。ある日、薬研堀から来たといって宇一という三十がらみの愛嬌の良い男が尋ねてきて、労咳には朝鮮人参が良く効く。自分の知り合いが新潟で薬種を商っていて、朝鮮から極秘で人参を仕入れている。市場に出回るようなものじゃなく、本物だから値が張るが、おっかさんが元気な体になるために、飲ませてみなさい。効き目は間違いない。何人も治してあげて、感謝されていますよ。
 言葉巧みに持ちかけ、値を聞くと高額に驚いたが、おっかさんを元に戻せるのなら、ここは、踏ん張らないと、そういう風ににこにこして優しい言葉を繋いでは初の気持ちを揺さぶるのだった。だが、一月分で十両という金額にとても付いていけるものではない。悲しく首をふると、
「なに、ふた月も飲んだら必ず良くなる。そうすりゃ、娘さん。じきにそれくらいの金、働いて戻すのわけもないこってす。」
噛んで含むように説明して、初の気持ちを引っ張っていく。家には貯えは少なかった。暮れに溜まっていた店賃や味噌醤油炭などの代金を払った。静観院の縫い賃は微々たる物で父の利三郎が生きていれば生活に困らないでいたが、今では煮豆の豆を仕入れるのに恥ずかしい思いで付けてもらって手代に厭味を言われているぐらいなのだ。
「金を借りるのですよ。なに、治ればすぐに返す金ですもの、ものの百日も借りるだけで、おっかさんの病気が良くなるんだから。いいかい。娘さん。今のままだといけませんよ。
 お医師は治るといいましたかね。言わないでしょうが、労咳を良くするには朝鮮渡りの本物の人参しかありません。どうです。腹決めてみなさい。よければ、あたしが金の工面を考えてあげます。ええ。金貸しを世話してあげますよ。横山町にお武家ですが金の融通をしてくれるお方がいます。わたしの顔で借りてあげます。相場より、うんと安い利息でね。なんせ、あんた、場合がこんなのだから。博打や岡場所の借金じゃないんだから。そこは人情って奴ですよ。任してください。」
宇一は滑らかに親身になって話した。
 初は悲しいほど世間を知らない。相談の相手もいない。もっとも頼りにしたい淳二朗も音信不通が続いている。それが心をおののくぐらいに不安なのに、母はぐったり寝たきりでものもろくに食べない。煮豆の幾盛りかの置いた棚の横で低い声で囁くような宇一の誘いに初は頷いてしまった。
「よう決心なされた。あんたは親思いの娘さんだね。決めたら、早いほうが良い。実は人参はここに袋の中にほれ、クロテンの皮に包んで持っているのです。横山町は一足で行けます。すぐに参りましょう、いやあ、わたしもこの後、忙しくなるので今しか空いていないのですよ。なに、そのままでいい。印形なんぞ不要。あんた字は書けるね。なら、それで十分。男気のある方でしてね。横山町の岡部さまは。」
 こうして、初は悪魔の手中に落ちた。宇一というのは両国に巣食う女衒を主な稼ぎにしている性悪の男だった。
 この前から器量の良い初の噂を聞いていて、それとなく気を付けていたところへ、母が労咳やみと聞いて抜け目なく訪ねてきて、手前の仕事をやり終えたのだった。後は借金まみれにさせて岡場所に売り飛ばす。初ほどの器量だと大層な儲けになるはずだった。
 金貸しの岡部という武士は皺だらけの老人で目だけは鷹のように鋭くきつい感じだが、物言いは静かであらかじめ用意の借用証文に金額と初の名を署名させ、爪印を押させた。
 金額は宇一が三か月の人参代金として二十両借りておく方が良いといわれ、もう何も判らずに言われるとおりに借りて帰った。
 途中で蕎麦屋の二階へ上がり、宇一はクロテンの皮に包んだ人参を四本、初に包み皮ごと渡して金を二十両受け取った。人参はおろし金で等分に分けて摩り下ろし生のままで食べさせるのだと説明した。熱いあられ蕎麦は宇一が払ってくれて、そこで別れて家に帰った。
二月の終わりの寒い日だった。

六、残照
 あれから三ヶ月近く経った五月の十五日。単物も薄寒い身になつた初はぼんやり坐っていた。十日前に母が死んでしまった。高価な朝鮮人参も効かなかった。確かに摩り下ろすと薬種のきつい香りがしてこれなら効くのではと思わせたのだが、春先に風邪を引いて肺臓に多量の水が溜まったのが原因だと医師は告げた。母は死んだが家には弔いを出す金もなかった。また横山町に金を借りに行き、今までの利子、元金ともに六十両にも膨れ上がっていた。二度ほど、宇一が来た。今度は本性を現して借金の返済を迫った。母の弔いの後は毎日やってきて、初を見張っていた。結局、身売りしか方法はなかった。お勢も長屋の人たちもどうにも手助けの仕様がなかった。金貸しの岡部は前利息も取らずに気前よく貸してくれる。初の器量なら吉原でも一流に身売りさせて、二百や三百両は手に入る。間違いのない投資だった。宇一はどうせ食い物にするつもりで、とことん付きまとうのだろう。だが、金貸しにはどうなろうと知ったことではない。貸し金と利子が入ればいいのだ。それが、いかに高利であろうと証文にうたってある。借りた金はどんな形であろうと返すべきなのだ。
 夜になった。初は何も食べていない。ひもじいとも感じないのだ。改めて部屋を見渡す。小さな仏壇は薬研堀のお寺に永代預けにして既に済ましてある。後の家財は一切、大家さんに始末をお願いしてある。己の身の回りのみで新しい世界へ入っていくつもりだった。真っ白い綿布が濁った割り下水に揺らめいて漂うように、自らのからだも汚れていくのだと、冷え冷えした空気の中で思った。
 母が死に、祖父もまた父もみないなくなってしまった。そして、初めて心をときめかせた淳二朗も不意に居なくなった。皆んな居ない。初は一人になって静かに待っていた。もうじき夜が更けてから宇一と岡部がここへ来る。初は売られて出て行く姿を近所に見られたくなかったので、亥の刻に来てもらうことにしたのだ。待っている間に静観院の庵主から先日届けられた文をもう一度読んだ。そこには、あなたの身柄は院が預かるからとりあえず、おいでなさい。そのような意味の文面である。しかし、六十両もの借金を抱えて逃げ込めるところはなかった。すっかり諦めていたのだ。先に宇一が来た。岡部も小柄な皺だらけの顔を見せた。何も話すことはない。吉原の宝船という引手茶屋に売られると聞かされていた。初は何がどうなろうと、母も父も祖父も恋人もみな彼女を置いて、一人にして居なくなった。もう、どうでも良かった。
 小さい風呂敷き包みを抱えて畳に正座しているので宇一が顎をしゃくって立ち上がった。
 岡部も両刀を重そうにして立ち上がろうとしたとき、入り口の腰高障子ががらりと開いて侍が飛び込んできた。そして、後ろ手に閉めてずかずかと畳に坐った。
「岡部さん、でしたな?」
大月淳二朗だった。御家人同士顔を見知っていた。岡部と宇一に坐るように言って、初に
「いま、そこで、お勢さんにすべてを聞きました。だが、もう案ずることない。わしに任せて。ところで、岡部さん。借財は如何ほどです。」 淳二朗は岡部に向き直った。
「利子をあわせて六十両」
「相わかった。拙者が払おう。異存はあるまいな?」
「あんたは、この娘さんとはどういう仲です?」
「夫婦の約束をしております。」
「左様か、妻の借財を夫が清算する。それなら筋は通ってる。結構です。」
淳二朗は懐から包みを出して切り餅の二十五両を三個。一つを破り十両と切り餅二個を岡部に差し出した。証文を確認して細かく引き裂いた。あっけにとられて眺めていた宇一が
「そりゃあ、ないぜ、岡部の旦那。おいらの立場はどうなるんで?」
岡部にくいつくように迫った。
「今も申したとおり、亭主が返すのに断ることは出来ぬ。まあ、諦めることだな。しつこいと宇一、あんた斬られるよ。このなりを見て判ろうが彰義隊の生き残りと見たが・・・」
「いかにも、この先、生死は論外じゃ。だが、妻の難儀は見捨てておけぬ。」
「いかにも、好きになされい。わしは帰る。」
岡部はさっさと立った。宇一はやにわに走り出そうとした。表通りに官兵が見回っている。脱走者を知らせに行こうとしたのだ。その背後から淳二朗は手刀の一閃で眠らせると、表に待っていたお勢を入れ、静観院まで初を送ってもらうよう頼み、幾ばくか金子を渡し
「彰義隊の会計の余り金じゃ。何分、初のことを頼む。わしの女房じゃから。」
初は何か話そうとしたが涙が溢れて言えない。
「わしは一旦、身を隠すが、必ず、迎えに参る。待っていてくれ。初。女房どの泣くな」


( 評 )
 江戸下町の情緒が、職人や長屋の住人、下級武士らの暮しぶりを通して情感豊かに醸し出されている佳編である。とくに、母に代わって煮豆の材料を仕入れにいく主人公お初の健気さや心根が胸を打つ。タイトルも良い。この作品を読むと、小説の面白さ=真実はストーリーではなく、たとえば「手鏡をあてがって息を確かめる」といったディテール(細部)に宿ることがよくわかる。

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