随筆・評論 市民文芸作品入選集
入選

シベリア
日夏町 小林 勝一

 暴れ川の異名のある一級河川のカーブの辺りから、すぐそばの山に繋がる原っぱがある。夏の間は雑草に覆われて、なかなか入りづらいが、一月の冬枯れは枯れススキが柔らかに揺れ、山の麓まで歩いて行けた。原っぱは山の北にある。一月の風は襟を脅かすようにひゅーと唸る。気に入りの帽子を飛ばされないように防寒着のフードを被った。原っぱの広さは野球場ほどもあって山に繋がる辺りは低木と竹やぶで桜とクヌギが目に付く。中腹にお寺があり、頂上は火伏せの宮さんが正月は人を集める。枯れたナラの木が樹高の中ほどから白く変色して、見るからにざらつく木肌を冬空に晒している。山の斜面の目に付く枯れ木はほとんどが松で、塔婆のように寂しく静まり返っていた。
 原っぱから山に繋がる細い路は夏は雑草に覆われて、通るのに躊躇してしまうのだが、さすがに、この季節、北風を受けて散るべきものは姿を隠し、根強い雑草のみが地に根っこを這わせている。ここのところにヤエムグラが引っ付く種で待ち構えているから、慎重に雑草にズボンが触れぬように、そっと、忍ぶように歩く。
 むき出しの粘土の地肌に獣の足跡がくっきり残っている。いつからか、この山に棲みついた猪のものである。二つに割れたひずめが地面を重く圧した痕。周りの雑草が踏み荒らされて、斜面の竹やぶのあちこちは掘り返して魔法瓶ほどの穴を開けている。草むらから藪に入る。
 冬の藪ほど落ち着くところはない。空気が清々と青い風になって身体を拭き清めてくれるようで、曇り空に白いものがちらついて、北風はいっそう、鋭いナイフのように意地悪の気配を見せ始めている。それでも、藪の中に籠って、竹に囲まれて、青緑の空間に視線を投げれば、赤い藪ツバキの可憐な花がひとつ、ふたつと数えられた。孟宗の青に凭れて、尚も奥行きを眺めると、一抱えぐらいの樫の樹。その太い枝にもたれるように竹が折り重なって茂り、ちょうど人の背丈の高さに竹の葉が密集した葉むらの輪郭は人の後ろ姿に見えた。薄茶色の背中。足元は黄色い枯れ葉がぼやけている。
 曇り空。風が笛のように鳴った。いつか粉雪は殴り付けるように藪にぶつかって、葉むらを透かしてはらはらと零れ落ち、藪の奥の頑丈な人の背中に見えるものに白く降り注いでいた。その背中らしきものに雪は降り積んだ。風が、北の風が、頑丈な大きな背中らしきものを、ひとしきり揺さぶった。背中は揺れた。歩むように。外套が雪を払ったように見えた。藪の向こう。原っぱの先の暴れ川に渡って来た鴨が「コーウ」と寂しい声で鳴いた。
 北の風。粉雪。外套。私は突然、シベリア帰りの父の持ち帰った綿入りの分厚い、とてつもなく重い、裾も襟もぼろぼろだった外套を思い出した。その外套は家族がシベリアと名づけ、長い間、あったように思う。六歳か七歳のことだ。いつ、どこで、どういう風に処分されたか記憶にない。六十年も前の出来事である。シベリアから生きて帰って、様々な労苦も語っただろう。酷寒の暮らしも、恐らく無念の屍を晒した戦友の話も・・・
 済まない。父よ。皆忘れ果てて、今頃になって、大陸の寒気と渡りの鴨の哀切な一鳴きに、フードの隙間から吹き付ける北風に、忘れ果ててしまった古い記憶が喚起されて、外套(シベリア)だけしか覚えていない息子を。
 済まない。父よ。綿入れのとてつもない重さで、四人の子供の遊ぶおもちゃにした外套(シベリア)の行く末を、最後の結末を。
 大陸の苦しみや悲しみ、希望、絶望。そういうものの全部を包み込んで祖国へ持ち帰ったであろう外套(シベリア)。そして、それらにまつわるすべての話を忘れ果ててしまったことを詫びたいと思う。父よ。あなたはシベリア帰りの疲れた体に鞭打って家族を養ってくれた。私は今になって思う、父としみじみ話したことがあったろうかと。真剣に語るのを聞いたことがあるだろうか。酷寒の異国の辛苦の体験を肉親として、いたわり慰め、じいっと耳を傾けただろうかと。
 前方の藪の中は吹雪く白が竹の葉をこんもりと覆い、吹き降ろす風に外套(シベリア)がゆらゆら行軍するようにも見えた。ぐるりと見渡すと藪の薄暗がりの枝葉や竹の葉に急に吹き積もった雪がひゅーと風の音とともに揺れて、音もなく行進する兵士の後姿にも思えた。頭上では竹が激しくこすれあう音。ぎいぎい、かんかん、藪全部が喚声を挙げている。銃声みたいにぱちぱち鋭く木々の打ち合う響き。騒然とした戦場みたいな一帯の下に行進する外套(シベリア)は音もなく揺れていた。
 父は脳溢血で倒れ、一年ほど寝付いてから亡くなった。私は父のその年齢にあと一年となった。享年六十七歳であった。


( 評 )
 父の享年の年齢に後一年となった筆者は、シベリア帰りの父を懐かしみ追想する。厳冬のなか竹藪に入り、人の後ろ姿に見える葉むらの輪郭から父を想起する。父の外套「シベリア」にまつわる思い出を綴り、「済まない。父よ」と語りかける筆者の述懐には、父の思いを汲み取れなかった痛恨の思いが溢れている。その描写は筆者の心に刻まれた父の姿を彷彿させて、余韻が残る作品である。

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