冬の日と洗濯物
つい先程まで暗かった空が嘘のように明るくなり、眩しい光が差してきた。「洗濯物を外に干そうかな」と思ったものの、やっぱ止めておこう、と瞬時に考え直した。自分の中での小さな葛藤。そんな鬱陶しい冬の日も、あの頃があったからこそ、十分に幸せだと感じられる今。
二十数年前、田舎の長男の嫁として嫁いで来た私。一つ屋根の下で舅姑たちと暮らす。しかも、その姑とは大変な「しっかり者」で、家の中のこと一切を仕切っていた。もちろん嫁である私の給料も全て預かり、でんと主婦の座に居てくれた。傍目から見れば、私なんぞは、何もすることがない気楽な嫁としか映らなかっただろうが。
胸の内は…。私が足を伸ばせるのは、二階の一部屋だけ。それも階下の様子を気に掛けながら。
結婚してすぐに妊娠し、産休に入って間もなくのこと、「切迫流産」との診断を受けた二月。寒い寒い日が続いた。とにかく安静にしていなければならない。と言うよりは、体全体が大きくなり過ぎて、じっとしていることしかできなかった。それが事実。
そんな具合に自分の体がえらくても、朝から雪や雨が降り続いている日はまだましで、ごろんと横になり、うとうとすることもできた。ところが厄介なのは、良くもなく悪くもない冬独特のあの「天気」であった。
たとえ僅かばかりでも日が差せば、洗濯物を外に干してくれる姑。日光を無駄にしないことは立派なことである。しかしながら、変わりやすい冬の天気とて、いつ何時曇ってくるか分からない。晴天を信じて、洗濯物を外に干したまま、姑がちょっと外出してしまった時、私の緊張はピークを迎える。
つい今青空が覗いていたはずなのに、急に暗くなって吹雪になることもしばしば。二階の小さな窓から外の様子を伺いながら、天候が危なげな時は早めに行動を起こす。普段ならなんでもないことでも、身重にとっては大儀な仕事。大きなお腹を大事に抱えて、よっこらよっこら階段を下りる。そして、外の洗濯物を取り込んで家の中に干し直す。
たったこれだけのことであるが、またその逆のことも起こりうる。日が差しているのに、家の中に干したままでも駄目。考えてみればごく当たり前のことだが。
こんなことがあった。空がどんよりしていてチラチラ降ってきたので、慌てて洗濯物を取り込んだ。そんな矢先、さーっと明るい日が差してくる。二階に上がり、重たい体をどんと置いて、ふっとため息をついたばかりの時だった。
「ただいま」。
と姑の声が響く。間が悪いとはこういうことを言うのだろう。
「こんなに良い天気やのに洗濯物を中に干してなにしてるんや」
厳しい忠告が私の耳に飛び込んでくる。「今私が中に干し替えたばかりなのに。」「私だって結構気を遣っているのに。」そんなことを思うと情けなくて涙が溢れた。自分の気持ちを受け止めてもらえない。という悔しさか。
しかしながら、とにかく、ここは姑に従うしかない。理屈を言って逆らったとしても、自分の気持ちなんぞは理解してもらえるわけが無い。
開き直って、のっそのっそと階段を下りる。寒空を仰いで、両手でそっとお腹を包む。
「寒いけどごめんな。」
と心の中で詫びながら。
その後で、いらいらしながら洗濯物を外に干し直す姑を手伝う。そんな時はやはり相手を真顔じゃ見られない。ぶすっと黙っている私の姿が、姑の目にはどう映っていただろう。決して可愛いなんて言えない、愛想笑いさえできない、本当に不器用なこの嫁のことが。
私だけ、いや私さえ我慢すればいいんだ、そう自分に言い聞かせ、次の日もそのまた次の日も、冬の空を見上げる私。ずうっと雪が降り続けばいいのに。この雨が一日中止まなければ楽なのに。まるで子どもみたいな祈りごとをし、天気が変わるたびに一喜一憂していたあの頃。ほんの些細なことで悩んでいたのだと、今だから語れる姑との日々。
冬の天気の恨めしさ、辛かったけど、同時に懐かしさがこみ上げてくる。洗濯物を干すことに関する気苦労。もどかしかった若き日の自分。顧みれば、全てが生きる糧となっていったんだ。そして今、この家の中に姑の目はない。
冬の日であれ、たまには良い日差しを感じる。こんな日は、少しでも外に干すとよく乾くだろうな、よし今日は朝から外干しだ、自分で自由に決められるありがたさ、楽しさ。
別になんでもない日常だけど、今のこの充実感を味わわせてくれているのは、紛れもない、二十数年前の姑の姿であった。
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