男の介護 ―孤立と苦悩を乗り越えて―
私は今、九〇歳の認知症の母を介護している。故あって他県から彦根の地に引き取った。介護されている方ならどんな状態か凡そ察していただけると思う。症状の一つとして深夜いろんなことを話し続けている。傍に居る者はとてもゆっくり寝ていられない。それが終ると本人はケロッとして鼾をかいて寝ている。こんな事が何日も続くと介護する方が疲れて精神的に異常になってくる。勤めがあろうものなら体調を崩してしまう。私は妻を亡くしたため母の介護を始めたが、毎日三度の食事作り、入浴の介助と着換え、排泄の始末。書けない程細かな日常生活全般の世話をしている。新しい衣類を買っても体型に合わない時は慣れぬ手つきで針を持つ。
認知症の人は、二〇〇五年で一六九万人、二〇一五年までにおよそ二五〇万人、二〇二五年には三二三万人になるそうだ。そして私のような男性の介護者は、現在四人に一人の割合で増えている。配偶者の介護、親の介護と女性にやってもらっていた事を、男も携わるようになった。戦後の高度経済成長によってもたらされた大家族制から、核家族に移行してきた結果こうした現象が現実化している。病人が有っても大家族ではいつも誰かが交替で看ることが出来た。しかし核家族の現代、更に子が家を離れて仕事についた場合、あとは夫婦二人きりという最少の家族になってしまう。どちらかが倒れたら即いずれかに負担がかかってくる。がしかし、夫が倒れた場合妻は日常生活に概ね支障を来すことは少ない。反対に妻が倒れたら夫はその日から右往左往せねばならない。「コーヒー一杯入れたことがなかった、どんな料理をすればいいか分からない」など、毎日せねばならない「炊事」がのしかかってくる。
今迄平穏だった家庭に突然起こる介護の世界。誰も予測しえないことである。そんな時男はどうなるか、慌てふためきオロオロし、慣れない生活にイライラが募る。私も妻が入院、そして亡くなった時どうして切り抜けてきたのか、今思い出そうとしてもどうしても思い出せない。毎日が必死だった。そんな折り丁度「男の料理教室」がありいろいろ教えていただいた。今も毎年春になると通っている。うまくは出来ないが作ることに不自由はなくなった。しかし日常会話をする相手がいなくなったので、精神的に耐えられなくなった。女性とちがって近所の方と気軽に話すことができない。電話があっても男友達は皆仕事中。愚痴を言うわけにもいかない。一人家に閉じこもっていると訳もなく不安になってくる。胸が息苦しくなってくる。こんな事の毎日では体調をくずしてしまう。
そんな折り、私にはヘルパーの資格があり縁あって施設のグループホームに勤めていた。そうだこの経験を生かして母の介護をしてみようと思った。両立は無理なので職を辞して母の介護に専念することにした。がやはり問題は残った。認知症の母とでは日常会話は殆ど成り立たない。私が自分の息子という認識も無い。家も土地も変ったので頭の中は更に混乱しとんでもないことを言いだす。昔の話をしてやれば本人はうまく話せるが、こちらの気持の解消にはならない。
そんな時ふと目についたある会の記事、同じ様な立場の人の集まりである。意を決して出席した。見ず知らずの方達ばかりであったが、心に温かみを感じた。私の悩みが受け入れて貰えた。過去に経験されたり、今そのまっただ中におられる方達の集まりである。いろいろな方が、いろいろな悩みを話して下さる。殆どは女性だ。男は私一人の時もある。しかし男性の介護者は四人に一人という現在、皆さんはどうしているのだろうと思う。一人で悩んでいずにこの場においでよと声を掛けたい。勇気を出しておいでよと言いたい。悩みは解決出来なくても心は軽くなる。明日から元気になれる。そして悩んで又出て来る。この繰り返しだ。介護は毎日同じ事の繰り返しだ。
あと何年という区切りはない。ないが故に日々を大切に。自分を大切にしたい。そうすれば介護される側も、する側も少しは幸せを見つけられる。ある限りの命を大切にしてやりたい。私はそんな日々を送りたい。地域の輪に入り皆さんと手を取り合い、助け合って行きたい。介護の世界がもっともっと明かるい社会になるよう、手を取り合っていきたい。
“夜叉となり仏となりて日々介護” |