随筆・評論 市民文芸作品入選集
特選

「うっとうしい」関係
犬上郡多賀町 木村 泰崇

  「うっとうしい」という言葉がある。手元にある国語辞典を引いてみると、〔陰気で気分がよくない〕 とあり、また 〔なにかがおおいかぶさるようで、わずらわしい〕 とある。漢字で書くと「鬱陶しい」となり、あの 「憂鬱」の「鬱」という字を使っていてまさに見るからに 「うっとうしい」。
 先日、ある法事の席で、同じ近江の地に生きる人だが他の町に住んでいる人たちと散々この 「うっとうしい」 という言葉を使い合った。そのことの始まりは、ちょうど一年程前に私がご近所の六十代の方からお叱りを受けた話をしたことに端を発する。
 それは、私が住み暮らす村の字〔あざ〕の役員を決める会合の席での出来事だった (彦根などの町では自治会と呼ぶのだと思うが)。その夜の会合は重苦しい雰囲気に包まれていた。参加者の誰もがうなだれて下を向いたままで口を真一文字に固く閉じ、どうか自分には火の粉が飛んできませんようにといった感じだった。どうか役員にはなりませんように、どうか何も当たりませんように……といった無言の幾つものテレパシーが沈黙の中でつばぜり合いしていた。そんな中で、私はついポロッと言ってしまったのである。「私もそりゃ六十を過ぎたら、これはトシの順番だとも思いますし、字の役員もさせてもらおうとは思いますが、まだ昼間は仕事をしている身でもありますし、まあ六十過ぎてヒマになったらそういうこともやらせてもらおうと思っています。私の意見としましては、まだ現役で仕事をしている四十、五十代の人に役員をやらせるっていうのはちょっと酷じゃないかと思うんです」。
 すると間髪入れず私の前に座っていた六十代の方が目をむき拳を握りしめ怒声を発したのだった。「じゃあ、あれですか、字の役員っていうのは、私らみたいなヒマな年寄りがずっとやっていたらいいっていうんですか」。
 私が法事の席でこの会合のことを振り返って話すと 「いずこも同じですね」 という声が座敷のあちこちで上がった。県内のどの町どの村の自治会の役員決めも似たり寄ったりで非常に難航しているというのだ。
  「わたしもこの前の会合の時、もう少しで言いそうになったんです。町内会も役を引き受けてくださる方には、みんなで一年にたとえ千円でもお金を差し上げたらどうかって。大変な役をボランティアでやっていただくわけですから、誰も文句ないんじゃないかって。でもやはり言えなかったので、家に帰って主人だけに話してましたが」 と法事の席でにこやかに言ったのは上品な六十代のご婦人だったが、実は私も同じようなことを考えていた。
 お正月の町祈祷に始まり、懇親会、会合、川ざらい、地蔵盆、運動会……と、田舎の村の行事や奉仕作業は賑やかである。私の隣の村などでは、その奉仕作業の後には、その年の当番の家で〔すき焼き〕が行なわれ、字のみんなが勢ぞろいするという。だから会食の場所に当たった年の家は大変だ。その 〔すき焼き〕 の話を私がした時、「それは、うっとしいですね」 と、先ほどのご婦人が 「うっとうしい」 という言葉を使ったのだった。
 それから私を含め法事の席に座るみんなが 「うっとうしい」 という言葉をさかんに使って、田舎の村の現状についての話になった。
 私は一昨年まで妻子といっしょに彦根市内の賃貸マンションに住んでいたが、回覧版だけは回ってきたものの、会合も奉仕作業も参加行事も一切なかった。五十世帯余りが暮らしていたマンションだったが、自治会など存在しなかった。そんな町の気楽なマンション暮らしと比較する時、親との同居を開始した今住んでいる村の字は、正直、何かと 「うっとうしい」 と感じられてしまう。
  「うっとうしい」 が座敷の中を充満していた渦中、それまで静かに穏やかな笑顔で私たちの話を聞いていたそのご婦人のご主人が言葉を発した。「ほんまにせちがらい世の中になったもんですなぁ。ご近所みんなで汗を流して、それからみんなでおいしいお酒や食事を楽しむ。どうしてそれがうっとうしいことなんでしょう?うっとうしいと思う前に、この行事をひとつ楽しんでやろうって、どうして思わないのでしょう」。
 本来はそうなのだ、その通りなのだ……と素直に思え、相槌を打っていた。それにしても、私の年齢位 (私は今五十歳) 以下の若い世代は、何故近所付き合いや村の付き合いをうっとうしがるのだろう。いや、近所や村よりももっと身近な存在である親や祖父母を、血の通った家族でさえ、うっとうしいものとして遠ざけ、同居することを嫌い、〔核家族〕 として別に暮らすことを望んでいる。
 今、この 「うっとうしい」 関係は、高齢化と核家族化が進む今日、ここ近江の地はもちろん日本中の地域社会の重要課題として、再考すべき時期にきている。


( 評 )
 地域役員の選出をめぐって、世代間の価値観のギャップと世相の変化が描き出されている。筆者は、近所付き合い、村の付き合いを楽しむことが本来のあり方だと肯定しながらも、一方で、自分を含む若い世代が、気楽なマンション暮しや核家族を望む現状と、その背景に思いを馳せる。身近に起こる光景と人間模様を描いて、訴えるものは大きい。

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