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特選 |
桜の木の下
「猫に小判」「猫なで声」「猫被り」「猫ばば」 「猫の額」「猫に鰹節」、あげくの果てには「化け猫」 など、「猫」の付く言葉には、あまり良い意味が無い。犬の様に人間に服従する事も無く、自由気ままに行動する様が、なかなか良い印象を与えないのかもしれない。猫の中でも野良猫となると、それはもう、まるで邪悪な存在の様に扱われる。 私はと言えば、そんな猫たちの仕草や、掴みどころの無い動きが大好きで、現在三匹の猫を飼っている。その中の一匹に、茶太郎というオス猫が居る。一番最後に我が家に来た、茶太郎を飼う事になったきっかけと、それにまつわる出来事を書いてみようと思う。 四年程前の通勤途中、大通りから一番近い芹川沿いのベンチに、猫が一匹居るのを見た。桜が奇麗な季節でもあったし、自転車を降り、そのベンチに腰掛け、猫を撫でながら桜を見ていた。するとたちまち、数匹の猫が私の周りに姿を現わした。オス猫同士が喧嘩を始めた。と言う事は、後から姿を現わした猫は、別の縄張りから来た事が分かる。ふと芹川とは反対側の草の茂みに目をやると、そこには誰が書いたか解らない看板が立っていた。「人間の勝手で捨てられました。地域猫として可愛がって下さい」 そうか。ここの地域の人は、皆で猫たちを世話しているんだな。その時の私は単純にそう思い、次の日には餌を持ってその場所に行った。私の姿を見ると、すぐに猫たちがやってきた。美味しそうに餌を食べ、満足すると、ベンチの上で毛づくろいをしたり、私の体に擦り寄って来たりした。しばらくすると、若い女性がやって来て、餌をやり始めた。 その日以後、何度か餌をやった私は、同じ様に餌をやる人を何人も見た。 そんなある日、仔猫が六匹ほど、親猫と一緒に姿を現わした。私はそこで初めて、事の重大さに気付いた。このままここで猫が増え続けるとどうなるのか。そんな事を考えながら、少し奥の方へ歩いて行くと、数十メートルごとに猫たちの群れがあった。片目のつぶれた仔猫、ゼーゼーと息の荒い猫。沢山の光る瞳が「どうしてくれる、どうしてくれる」と、私を責めている様に感じた。私は芹川から逃げる様にして帰った。 野良猫すべてに飼い主を見つけるか、あるいは自分がすべて飼うか。責任を持てないのなら、餌を与えるべきではない。一時の同情は、ますます不幸な猫を増やす事になる。それに気付いた私は、餌をやるのをやめた。 数ヶ月が経ち、通勤途中に距離を置きながら猫たちを見守るだけだった私の目に、真新しい白い看板が飛び込んだ。情緒あふれる景色と、美しい緑の桜の木の下で、その看板は冷たく異質なオーラを出し、白く光っていた。猫たちに再度近づくのは辛い。でも、そこに何が書いてあるのか、読まずにはいられなかった。予感は的中した。近隣住民による看板だった。 季節が秋になる頃、芹川に野良猫たちの姿はなかった。すべて姿を消した。病気、餓死、あるいは一斉に捕獲処分されたのか、真実は解らない。ただ一つの真実は、彼らはもう苦しまないという事だ。それだけが救いだった。 やがて来る春。猫たちに初めて逢った季節。桜の木の下で暮らしていた猫たちの姿を忘れない。空から降る桜の花びらよ。時を刻む砂時計の砂となり、彼らがそこで確かに生きていた時間と場所を優しく覆っておくれ。巡り来る春ごとに、私もその桜の木の下のベンチに腰掛け、花びらの砂時計の底になり、彼らの事を想うだろう。 |
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