若武者の夢
慶長二十年(一六一五年)五月初め、初夏を思わせるような日差しが琵琶湖に降り注ぎ、湖面はキラキラと輝いて見えた。湖岸は湿地帯となり複雑に入り組み、一面の葦に覆われている。その葦原の途切れるあたり、葦に身を隠すように、先ほどから若い武家の男女が寄り沿っている。
「志乃殿、近々折を見て、父に貴女のことを打ち明けようと決心してます。父も逢っていることに気付いている様だし‥」「お父上様が許して下さるか心配です」志乃と呼ばれた娘は心細そうに俯いた。一呼吸を置いて若い武士は「父は恐らく、お前は次男坊故に養子に行くのが順当、嫁を貰うとすれば新家を起こさずばなるまい、よって諦めよと申されるやも知れませぬ。何、心配無用、いざとなれば道場の師範代を務めてでも貴女となら食べていくには困りはせぬ。それに‥」言いかけて言葉を濁した。
この若い武士の名は武藤源次郎、彦根藩士の武藤主膳の次男坊である。武藤家は井伊家で馬廻役を勤め、家禄二百四十石で中程度の家と言える。源次郎は二十二歳ながら、町外れにある一刀流の池淵道場で四天王の一人と目され、師範の代稽古を勤める腕前である。「志乃殿はお父上に何かお話されたのかな?」「はい、少し前に大体のことは‥」「それで、父君は何と?」源次郎は志乃の顔を覗き込む。
「武藤様のお家は井伊谷以来の古い家柄、ご次男の源次郎様はきっと釣り合いの取れたお家にご養子に行かれるだろうから、早く諦めた方がよいと‥」志乃の家、中村家は関ヶ原の合戦以降、井伊家が大きくなったことで新規召し抱えになった、謂わば新参者である。ただ、今は没落したとはいえ、かつて播磨の国に覇を唱えた赤松一族の末裔であるが故に、新規召し抱えになったのである。家禄は百石で志乃の父、佐内は右筆〔ゆうひつ〕である。二人の間に沈黙が流れた。目の前を一番〔つが〕いのカワセミ鳥が、ヒスイ色の羽を広げ忙しそうに飛び交ってる。「あのように思うがまま、好きなように飛んでみたいものだ」源次郎は感慨深げの面持で眺めていた。静寂が辺りを包み、カワセミ鳥の鳴き声と渡る風に葦が擦れ合う音しか聞こえない。と、二人は葦を掻き分け誰かが近づいてくる音を耳にした。葦が揺れているー武家の男女の逢い引きが厳しい時代であり、身を屈めその方を覗った。「若、やはりここでしたか。殿が火急の御用にてお呼びございまする。至急、お屋敷へ御戻り願います」日焼けした毛むくじゃらの顔の足軽、久助が覗いている。逢い引きの邪魔をしたせいかバツが悪そうである。
久助は源次郎が生まれる以前からの家来で、幼い時に母を亡くしたこともあり、時には甘えたりして、厳格な父主膳よりも慕っていた。足軽といえども名字帯刀も許され最下級の武士である。ただ屋敷内では単に久助と呼ばれている。源次郎は父が、わざわざ自分を探して呼び出した理由をあれこれ詮索しながら、中級武家の屋敷が並ぶ一角にある我家の門を潜った。
居間に入ると主膳が兄や家来達と小声で話している最中である。「遅いではないか、中村の娘御と逢っていたのじゃな」。それには答えず黙したまま席に着いた。「源次郎、いよいよじゃ。本日、組頭様からのお達しで、明後日、伏見に向けて出陣じゃ。昨年末の講和は破棄、大坂方と戦になることは明明白白で、準備を進めていたでのう。皆で漏れなきことを確認していたのじゃて」主膳の意を受けた郎党達は最後の準備に席を立った。
「父上、何か準備でお役に立てれば拙者にもお申付け下され」千載一遇の好機に源次郎は勇立っている。主膳は二人の息子を手招きした。「今回が初陣のお前たちだが、恐らくこれが最後の戦であるのは間違いあるまいて」と囁いた。「日頃から申している通り、我が家の悲願である上士となる機会とするのじゃ。また、源次郎は己の手で新家を興すために戦え。中村の娘御と一緒になるには新家しかないぞ」「志乃殿のことは、近いうちにお話しようと思っておりました。拙者も我が身の置かれている状況は存じておりまする」「それなら言うまでもあるまいが雑兵は相手にせず、武将の首一つを狙うのじゃ。そのために、実戦に長けた久助を付けてやる。やつなら武将の首を取る力になってくれよう。よいな、戦場では久助の意見に従うのじゃぞ」「父上の仰せ通りにいたしまする」「今まで次男のお前に構ってやれなかったが、お前に新家興しで父がしてやれることと言えば、これが精々じゃて、許せよ」「ありがとうございまする」源次郎は目頭が熱くなるのを禁じ得なかった。
父は武藤の家の悲願である上士になるための戦いにも関わらず、家の兵力を割いて、実戦経験の豊富な久助を敢て付けてくれたのである。今まで、兄と差別されていたように勘ぐっていた自分を恥ずかしく思った。「この戦いは徳川方の勝利に間違いあるまい。よって、一人の敵将に味方が群がるはずじゃ。お味方とて気を許してはならぬぞ、しかと心得よ」「ははー」兄弟は父の一言、一言を心に留めた。
翌日、久助も父に戦いに関して命令を受けたとみえて「若、今回はご一緒に戦い、敵将の首を取れるよう、微力ながらお力添えいたしまする」槍の手入れをしながら嬉しそうである。「すまぬなあ。その歳で戦働きは申しわけないが頼むぞ」「若、もったいのうございます。お生まれになったときから、若の成長を楽しみで生きて参りました。心立ての立派な若武者にお成りで嬉しく存じます。後は新家をお興しになり、是非志乃様と」源次郎と共に戦場に出るのが楽しくて仕方がないように見える。いよいよ明日が出陣である。「久助、頼みがある」「志乃様にお会いになられたいのでしょう、ひとっ走りお伝えに参りまする」
「源次郎様、どうかご無事で」志乃は目に涙を浮かべ、二度と逢えないかも知れない恋人に、心からそう願うのだった。「これは母の形見のお守りです。このお守りと共に、私の心もいつも貴方の御側におります」志乃の大きな瞳から溢れる涙が一筋頬を濡らした。「志乃殿、必ず無事戻って参りますので心配御無用です。この戦できっと功名を上げ、貴女をお迎えに参ります。ご安心くだされ」源次郎は志乃に力強く誓った。
出陣の朝を迎え、井伊軍四千は多くの人々に見送られ、勇ましく出陣していった。軍は一旦、伏見に集結し徳川軍として編成され、井伊軍は藤堂軍と共に、主戦場である南河内方面に軍を進めた。
南河内に到着したものの、敵方と遭遇することもなく、今朝は夜明け前からの行軍である。源次郎達までは敵方の動静の詳細情報は届かない。行軍を開始して間もなく井伊軍は泥沼にはまって喘いでいる。河内平野は泥地が広がっていることは井伊軍も知ってはいたが、曙と共に靄が流れ始め、物見兵を通じて集めた周辺情報も正確には役に立たない。源次郎もその中にいた。周辺の様子や敵方の動きが伺い知れないまま、泥に腰まで浸かって喘いでいたのである。(これは大坂方の作戦であった)源次郎は靄の中、五間程前を進んでいる父達の姿を辛うじて確認できた。源次郎の側には久助がぴったりとくっ付いている。
軍馬の嘶きが時折、前方遠くから聞こえる。「若、敵が近くに潜んでおるようですぞ」。太陽が昇って来たお陰で、ぼんやりと周辺の様子が見えてきた。前方に雑木林が広がっている。「あの雑木林から飛び道具で狙われたら、お味方は大混乱になりますぞ」久助が前方を指差したときである。静寂の中で「ひひーん」と馬の嘶きが大きく聞こえた。「若、伏せてー」二人は泥に身を屈めた。と、同時に耳をつんざいて銃声が一斉に鳴り響いた。玉が源次郎の耳もとをかすめた。間一髪であった。「敵だー林の中に敵兵だー」前方の誰かが叫ぶのと同時に、周りの味方が悲鳴を上げ、バタバタと泥の中に倒れ込むのが見えた。
源次郎達の所属する部隊は先鋒を受け持っており、手柄の機会もある反面、鉄砲、弓など飛び道具の餌食にもなりやすい位置にいたのである。勇猛な武者達であろう、銃声が聞こえた林を目指し泥中を我先にと、赤備えの鎧兵が死に者狂いで這い上がっていく。目で追っても、もう混乱状態の中では父達は確認できなかった。「久助、我らも泥中から出て敵と切り結ぼうぞ、父上達も前方に敵を追ったに違いない」二人とも全身泥だらけ、眼だけが異様に光っている。久助は槍を杖代わりにして、泥を掻くようにゆっくり進みながら「いけませぬ、若。闇雲に前進しても流れ玉、流れ矢の餌食になるだけで犬死ですぞ」と、落ち着いている。確かに、敵は次々と、鉄砲隊、弓隊を繰り出し飛び道具で味方を餌食にしている。「敵は木村軍だーかかれー怯むなー」前方で物頭であろうか部隊を鼓舞する叫び声が聞こえる。「いやな軍と戦う羽目になったな」と、源次郎は思った。
木村隊を率いる木村長門守は豊臣秀頼と乳兄弟で、信任極めて厚く、若い長門守は燃えに燃えている。一刻ほどは敵の優位で展開され、後は一進一退が繰り返された。だが、さすがに井伊軍は徳川方の最強軍団で、時とともに体制を整え、鉄砲隊が前進する味方の援護射撃を始めた。やがて両軍の主力どうしが遭遇し白兵戦となり、一面修羅場と化した。雄叫び、悲鳴、阿鼻叫喚が入り乱れ、屍、傷付き、のたうちまわる武者、泥が赤い血に染まった。
前方から三人の敵兵が近付いてきた。粗末な胴を着けただけの足軽達だが、各々が槍を携えている。源次郎が刀を構えて威嚇したが、久助はニヤリとすると「お任せあれ」と踏み出した。長い愛槍の先を敵兵共に向け「命がいらない奴はかかってこい」これが久助かと思われるほどの凄味で怒鳴った。敵の足軽達は一瞬怯んだようだが、その中の歳若いのが「何をほざくか、老いぼれーオリャー」と持った槍先を突き出した。久助はそれを難なくかわし、愛槍の柄で足軽の手首を力任せに打つと、骨の折れる音がして敵兵は痛みで槍を落とした。「命だけは助けてやる、早々に立ち去れー」久助の一喝で敵兵達はほうほうの体で逃げ去った。「見事だな」「いやー、相手が弱かっただけでござるに」と、平然としている。隊がばらばらになり、戦場が広がった状態で戦は続いている。
それからも何度か敵雑兵に遭遇し、刀を抜いて槍を交わしたが、敵兵はお愛想程度の打ち合いで、二人を諦め去っていく。「若、敵兵共は余り戦意はありませぬな。噂どおり黄金で雇われた兵が多いのでしょう」「それにしても中々敵の武将に出会えぬものだな。危険を冒してでも武将を探そうではないか」源次郎は焦り始めている。戦場が広がってきており、待っていても出会える機会は明らかに減っていると感じられたからである。「否、こちらから出向き、この広がった戦場で探すのは難しくござるよ。また、出会えたにしても二人で将を討つは至難の業。名のある武将が少ない故、見つけても多くのお味方が取囲み打ち取る、首取りになりましょうぞ」「我らに首取りは無理なのか?」「いいや。これからが久助めの働き場、経験でござる。きっと機会を探して見せまする故、今少しお待ちくだされ」父上は経験を買って久助を付けてくれたのだ、父の言葉を信じ、不安を打ち消そうとした。
白兵戦は最初押していた木村軍が午後になって、あちこちで崩れ始め、大坂城の方向に向かって退却しつつある。やがて日が西に傾きかけた頃、「我は安藤重勝なりー。木村長門守殿の御首、頂載つかまつったー」この勝ち誇った叫び声で木村軍は総崩れとなった。木村軍の敗走ぶりを見て、井伊軍は先を争って後を追い始めた。「久助、これが最後の機会かも、我々も急ごうではないか」「若、その必要はありませぬ。それより、右手に見える小高い雑木林に入りましょうぞ。先程より地の利を見ておりましたが、あの林は何町歩と広くおまけに川に沿っております。敗残兵の多くはあの林に逃げ込み、夜陰に紛れて川伝い逃げることが可能かと思われまする。勿論、その中には将も紛れ込みましょうぞ」久助は自信ありげにそう説明した。「先程話してくれた経験からくる戦法だな。よし、それでいこう」源次郎は腹を決めた。二人は自軍とは異なる方向に移動を始めたが、手柄を狙って追いかける井伊兵は全く関心を示さなかった。
雑木林にはウバメガシ、モッコクなどの広葉樹や笹竹が生い茂り鬱蒼としている。枯れ木も横たわり、あちこちに大きな石も転がっている。林は丘のように斜面を持っており、滑リやすく枝葉、木の根っこも行方を阻む。隠れるにはもってこいの場所である。「若、静かにお進みを、すでに敵兵が潜んでおるやも」二人は大石の影にある窪地を見つけ腰を下した。やっと一息つけた。こうなると若い源次郎には、疲れはともかく、早朝から何も口に入れていない空腹感が込み上げてきた。腰の袋に入れておいた糒〔ほしいい〕を取り出した。泥まみれである。「駄目だ、これは食べられそうにないな」「水で洗えば食べられますぞ。その岩場から落ちている真水で洗いなされ、水を飲んだだけでも一息つきますれば」二人は落ちる真水に顔を寄せて喉を潤した。洗った糒を頬張った源次郎は、一息ついたからか朝からの疲れも出て、うとうとし始めた。
それから幾ばくもせぬうちに、揺り起こされた。「若、起きなされ。枯れ枝を踏みしめる音がいたしますぞ。敵兵かも‥」確かに枯れ枝を踏みしめる音だ、それと杖をつくような音も混じっている。「一人だな」それが敵将でありますようにと、高鳴る胸で志乃のお守りに念じた。二人は近づく相手の現れるのを固唾を飲んで待った。木の枝が動いた。黒光りする立派な鎧を身につけ、兜には黄金の天衝を付け、右手には赤柄の槍を手挟んだ武将が現れた。赤備えでない待ちに待った敵将だ。次の瞬間、久助が武将の前に踊り出た。続いて源次郎も。敵将は一瞬驚き、たじろいだが「その方共は井伊家の家臣だな」と、声を張り上げた。源次郎も緊張気味ではあるが臆ず「木村殿のご家来とお見受けする。我らは井伊家の家臣、武藤源次郎とその家来でござる」と、名乗りを上げた。「確かに拙者は木村長門守の家来で中村丹波と申す」「御首、頂載つかまつる」久助は槍を構えた。源次郎は足場の悪さ故、敵の前に出れず一対一の勝負しかできないのである。しかも、敵の足場には半畳の平地があるが、久助の足場は斜面であり、明らかに地の利は不利である。それでも槍先の動き鋭く突きだすが、丹波をそれを卒なくかわし、逆に有利な足場で責めた。さすが敵将、何度か渡り合った雑兵の槍先の動きとは全く違い、舞を舞うように槍を振るう。久助は必死で敵、丹波の槍先を凌いでいたが、足元が滑り僅か体が崩れた。丹波の槍先はそれを見逃さなかった。「おりゃー」と、突き出した槍先が久助の胸倉を覆う粗末な胴を貫き、脾腹をえぐった。「ううー」と、呻き声を発した。ただ、脾腹を突いたことで丹波に一瞬の心の隙が出来、槍の動きが止まった。さすが久助、よろめきながら力を振り絞り、敵の鎧袖の隙間に槍先を突き上げた。が、久助はそのまま斜面の笹の中に倒れ込んだ。「久助ー」と呼び掛けたが返事はなく、動かなかった。
敵将の丹波も槍を受け、肩口から血を流している。「おのれー、よくも」源次郎は刀を上段に身構えた。丹波も槍を捨て、腰の太刀を抜き払った。丹波の槍はひと際長く、木の枝が邪魔で戦いづらいと判断したのであろう。肩口から血を滲ませながら、久助との戦いで息を弾ませ、源次郎を凝視している。真っ黒に日焼けした顔からは、歴戦の勇士を感じさせる。父と同じ年格好であろう。「えい、えい」と、源次郎は声を上げるが震えて切り込めない。敵が山のように感じるのだ。「若造どうした、かかって来ないのか。構えは立派な一刀流だが、お主真剣勝負は初めてだな」。源次郎は敵に皮肉を言われながらじりじりと後退し、後退する足で、足元にある木の生き枝を踏んだ。「来ないのならこちらから行くぞ」と、丹波が踏み込んだと同時に枝を踏んでいる足を浮かせた。枝は丹波の膝を打った。はっと気を取られた瞬間に源次郎は丹波の二の腕に刀を見舞った。浅く切っただけだが相手がたじろいだ。丹波は多くの修羅場を踏んでいるからか、太刀を捨て組み付いてきた。力勝負を挑んできたのである。源次郎には全く経験のない組討ちが始まった。丹波は大柄で、恐らく組討ちに自信があるに違いない。二人は木の枝や根っこ、石塊に体をぶつけながら、組み合ったまま斜面を転がった。斜面の終わり、笹野原で転がりが止まった。
組討ちの勝負は決した。源次郎の体の上には大柄の丹波が被さり、小刀を抜いている。観念し、志乃のことを思った。「志乃殿、さらば」夕日に向かって心の中で叫んだ。ーこれが死というものかーおやっ?どうしたのだ、不思議だ、何故か源次郎の首に小刀を当てるのを躊躇している。丹波の黒光りした鎧は流れ出る鮮血で赤く染まっている。「若武者よ、拙者が手負いといえども、よくもここまで戦いおうせたのう。拙者は出血がひどく、ここでお主の首を取ったとて、もはや生き延びることはできまい。ここでお主と刃を交えたのも、長門守様のお導きかも知れぬ。首を取れ。なに、拙者が諦めたのもお主達主従に切られし故じゃて。遠慮は無用ぞ」荒い息使いの中でまさかと思われる言葉を口にしたのだった。激しい痛みがあろうに、丹波の口元は微笑んでいるように見える。さらに続けた。「拙者は井伊家にまんざら縁なき者でもないし、知己もいる。この首と中村丹波の名を言えば、お主のいくらかの功名になろうよ」。あれほど久助と、敵将の首を取ろうと勇んで参陣したのに、不思議と功名心より敵同士で、死者狂いで戦った間に芽生えた感情が、思わぬ言葉を言わしめた。「もはや中村殿の首はいりませぬ。傷も大したことはござらぬ故、落ち延びてくだされ」源次郎は丹波に真の侍を見た。できるものなら、死なせたくはない。「この林に入ったのは、夜まで待って高野山に落ち延び、長門守様の墓をお守りして生きようと思ったまで‥今は長門守様の後を追うことに決めた‥」顔から血の気が無くなってきて、言葉も弱弱しい。後々知り得たことだが、関ヶ原の合戦で主家が西軍に組みしたため、諸国を転々とし木村家に拾われ、長門守の守役にまで抜擢され、大恩義を感じていたのだった。
二人の会話が止まった時、遠くで笹竹の触れ合う音がした。「さ、早く誰か来るやも知れん‥。首を斬れ‥」「中村丹波殿と申されましたな。我家の続く限りご供養いたしまする。御免」小刀を抜くと丹波の首に当て、一気に掻き切った。血が噴き上がり首は胴体から落ちた。兜を脱がせ、紐で背中に紐で括りつけ、首は作法どおり薄絹で包んだ。
その時、三人の赤備えが笹竹をかき分け現れた。一人は武者、二人はその郎党の出で立ちである。その武者は、横たわる首のない死体が着けている鎧と、源次郎が背中に下げている兜から、さぞかし名のある武将と踏んだのであろう。「おい、貴様ー、道場の武藤だな。その首置いて行け」「そういうお主は今村だな。首を横取りする気か、そうはいかんぞ。この首は家来と二人で命を賭けて得たものだ、心得違いをいたすな」今村は父親が組頭を勤める家の総領であり、源次郎と同じ道場の門下である。「お主には不釣り合いな武将首、ふん、どうせ陣に持ち帰っても拾い首と疑われるだけさ」今村は不敵な笑みを浮かべると郎党達に「お前たちは武藤の後に回れ、挟み討ちだ」怒りに震えながら、出陣前に父が(味方に気を許すな)と言ったことが思い出された。残念ながら先ほどの丹波との組討ちの際に、刀を投げ捨ててしまったので、小刀しか持っていない。従って、三人を相手に戦いにならない。血に染まった薄絹で包んだ首は、わけなく今村にむしり取られた。「武藤、悪く思うなよ。なに、まだ戦は終わった訳ではない。別の首を狙えばよいさ」今村達が首を得、気の緩んだ隙をみて源次郎は小刀で切りつけた。「ひやー、止めてくれ」道場では歯が立たない今村は逃げ廻る。
「こらー、お前たちは井伊の者共だな。戦場での自軍同士の争いは軍令違反、事と次第によっては、斬首に処す。拙者は戦目付の小柳半兵衛じゃ、その方共もまず名乗れー」いつの間にか立派な赤備えの武将が供を連れ、林の外側からこちらを見ている。戦目付とは合戦状況を観察し、将士の手柄や卑怯な振る舞いを見届ける役柄である。「それがしは馬廻役の武藤主膳が一子、武藤源次郎でございます」「それがしは組頭の今村左門が一子、新太郎にございます」二人は神妙に名乗った。「今村が首を持っておるようだが、それぞれ別々に争いの訳を聴きとるぞ」小柳はそれぞれを離れた場所に呼び別々に言い分を聞いた。源次郎は今までの経緯を詳細に申し述べた。聴き終ると、小柳は首を包んでいる薄絹を解き、夕日でその顔を確認した。「紛れもなく丹波の首じゃ。拙者は何度か丹波に会ったことがあるので間違いはない」小柳は恭しく手を合わせた。「丹波は文武両道に秀でた武将、敵将ながらあっぱれな人柄でもあったわい。畿内に聞こえし豪の者、よくぞ討ち取ったものじゃのう」小柳の言葉に源次郎の眼には熱いものが込み上げてきた。「事の次第はよくわかった。ご家老と相談の上追って沙汰する。それまで親以外にこのこと、決して他言無用。拙者もこれから陣に帰るところ、一緒に付いてくるがよかろう」
その夜、井伊軍に合流し、主膳以下、久助を除いて無事であることが確認できた。父に敵将の兜を見せ、今日一日の出来事をつぶさに語ると、さしたる功名を上げ得なかった父は小躍りして喜んだ。だが、今村との首争いに話が及ぶと渋い顔付きになった。
その翌日、大坂城が攻められ炎上し、秀頼、淀君が自刃して大坂方は壊滅し、徳川方の勝利に終わった。今回の勝利で徳川方が得た領土は豊臣家の六十五万石に過ぎず、各大名への加増も雀の涙ほどに過ぎない。そんな中、井伊家は大名中で最高の五万石の加増を得た。これは、井伊家が源次郎達が戦った八尾、若江の合戦で多くの犠牲者を出しながら、敵の主力部隊をせん滅させた功にある。ただ、直孝にはもう一つの大きな功績があった。それは、大坂方が二度と立ち直れぬように手立てを講じたことにある。つまり、直孝は炎上する大坂城に入り、命乞いをする秀頼親子に銃弾の雨を降らしたことにある。家康、秀忠にできなかった汚れ役を直孝が引き受けたのである。この功により、井伊家の譜代筆頭の地位が確定したといわれる。
井伊軍は晴れて彦根城下に凱旋した。源次郎は早速志乃に帰還の報告し戦いの間、命を守ってくれたお守りを返した。「源次郎様、無事のご帰還おめでとうございます。志乃にはお手柄より何より無事のご帰還がうれしゅうございますわ」涙ぐみながらも笑顔いっぱいである。「志乃殿のお守りが味方してくれたのでござる。ただ、久助は拙者の身代わりに敵に討たれ、一命を落としたのです」「まあ、久助様がお亡くなりに‥。二人にはお優しい方でしたのに‥」志乃の顔から笑顔が消えた。「それと、これはまだ内密ですが、実は敵将の首を打ち取ったのです」「え、本当ですか、それで恩賞はいただけるの?」「それが、その‥、話が込み入ったことになり、戦目付様のご裁定を待っているのでござる。微妙なことなので志乃殿にもこれ以上は話せませぬ。近いうちに戦目付様からお呼出があるはずで、待っているのです」「わかりました。源次郎様がよいとおっしゃるまで他言いたしません」複雑な面持ちで答えた。
それから数日が経過したが、武藤家には何の沙汰もない。一方、功名を立てたといわれる家は次々と藩庁から呼出しがあり、加増目録を受け取っていた。源次郎は気にかかり、道場にも出ず、一人、屋敷の庭で素振りを繰り返す毎日であった。藩庁から出頭するようにとのお達しがあったのは、凱旋してから一月程たってからである。
出頭すると、今村親子はすでに席についていた。二組の親子は互いに冷たい視線で会釈したのみで、武藤親子も席についた。暫くして、小柳半兵衛が入ってきた。小柳は今は戦目付を解かれ、元の中老職として戦いの事後処理責任者である。「待たせたな」小柳中老は席に着くと、双方の親子にそれぞれ視線を移した。「本日、その方達に来てもらったのは、察しの通り中村丹波の首のことじゃ。ご家老を交え協議した結論を言い渡す。双方に功名有りと判断し、共に三百石の加増とする。謹んでお受けいたすよう‥。なお、武藤源次郎の功名はあくまでも本人の手柄といたし、三百石で新家を興すことを差し許すものなり。なお、人柄も優れている上、剣の腕前も抜きん出ているによって、今後、小姓組に相務めるようにいたせ。なお、この件は殿、直孝様のご了解済みである。いうまでもなく、今村新太郎は今村家の総領、よって三百石は今村家としての加増である」小柳は一気に申し渡した。「お中老様、お願いしたき儀がございまする」と、ひれ伏したまま源次郎は声を発した。「なんじゃ、不服があるのか。申してみよ」「拙者めにお与え下されし三百石の内、百石は武藤の父に下されたく伏してお願い申し上げまする」臆することなく申し述べた。「お主は二百石でよいのじゃな」「ははー、御存じの通り拙者めは武藤家の兵として参陣せし者、本来ならこの三百石はすべて武藤家、つまり父のものでござれば、拙者めは二百石でも有難きことにござりまする」「源次郎、よくぞ申した。そちは若江の雑木林の中で中村丹波を討ったときも殊勝であったが、この度の父への思いやり、真に子の範たるものぞ。主膳お主幸せ者よのう。源次郎の申し出は殿に言上し、必ずやその方の願い通りいたすゆえ、安心せい」。この度の戦いで父や兄にはさしたる手柄もなく、加増は望めない。この百石が加わり、都合三百四十石で父の悲願であった上士への仲間入りが叶ったのである。「今回の申し渡しはこれにて終了するが、武藤親子は残るように‥」と、付け加えた。
今村親子が立ち去ったことを確認し、小柳は二人の近くに来て囁いた。「今回の沙汰について、藩としてお主達に謝らねばならぬ。丹波を討ったのは他ならぬ源次郎一人の手柄である。今回、運良くと申そうか、首を横取りされたところに拙者が行き合わせた。言い分を聞けば源次郎一人が討ったことは明明白白であった。これが以前に起きたことなら源次郎一人の手柄としても問題にはならなかったであろう。二人共、よく聴くのじゃ、ここからが大事なことぞ。我が藩は譜代の中核、今回の殿の功績で、家康公は譜代随一は井伊家とお決めになるは必定。譜代筆頭のお家の家臣達が首の取り合いをしたなどと、決して藩外に聞こえてはならんのじゃ、わかるな。この事木俣家老、直孝公もご存じのこと。我が藩としては源次郎に借りを作ったことになろう。いつかはこの借りを返せる日が来るやも知れんがのう」小柳はここまで話すと、居住まいを正し「この通りじゃ」と、頭を下げた。「勿体のうございまする」主膳の眼が潤んでいる。「源次郎よ、この先なにか困ったことがあれば何を置いても相談に乗る故、いつでも来るがよい」「有難き幸せ、源次郎めはご中老様のご厚情、終世忘れませぬ」親子は感動で気持ちが高ぶったまま藩庁を後にした。藩の判断の真実はその後、藩主直孝、木俣家老、小柳中老、主膳、源次郎の五人以外、余人に漏れることはなかった。
屋敷に帰り着いた後、主膳から家人達に加増内示を報告し共に喜びあった。「父上、新家ではありますが拙者は、忠臣久助のために仏壇を誂え霊をともらうと共に、幸運をもたらしてくれた丹波殿のために祠を建立し、我家が続く限り感謝したいと存じます」「左様か、真によいことじゃ」主膳も大いに賛同してくれた。
数日後、藩庁から再び呼び出しを受け、主膳が正式な(加増目録)を受け取ってきた。早速、志乃にその旨を伝えた。「志乃殿、今回の戦いで藩庁は拙者の功名を認め、二百石の新家を興して下されたのです」「おめでとうございます。いよいよ、彦根藩士にお成りなのですね」「後は、志乃殿を嫁にいただくように父から志乃殿のお父上に‥」と、声が上擦り気味である。「これで父も納得するに違いないわ。そうだわ、父に、お祝いに行ってくれるように話してみます」志乃の顔も輝いて見えた。
「主膳殿、この度はおめでとうございまする。これで武藤家も盤石でございまするな」志乃の父、中村佐内が武藤の屋敷に祝いに訪れていた。「わざわざのお運び、痛み入りまする。これ全て、源次郎のお陰でござる、いや有難いものです」二人は慇懃に挨拶を交わした。「上士にお成りになれば屋敷も中堀町に移られるのでござろうな」「詳しくはまだお達しがござらんが、恐らくは‥」「羨ましい限りでござるな。我が家などは右筆故、戦の功名とは無縁でござれば。して、源次郎殿は?」「先例からすると、この屋敷を拝領することになるのではと、思うてござる」「それでは今まで通りお近くで何より」と、佐内は頷いた。そこまで話しが進んだとき主膳が「佐内殿、実はお願いの儀がござる。突然ではござるが、お娘御の志乃殿を是非源次郎めの嫁御にいただきというございまする。何卒」と、頭を下げた。「どうか頭をお上げくだされ。実はこの事、拙者も娘から主膳殿にと頼まれ、実はいつ切り出そうかと‥‥。当家に否はございませぬ、願ったり叶ったりでござりまする」主膳は嬉々として「源次郎はいるかー、これ源次郎」。呼ばれて源次郎は部屋に入ってきた。「源次郎にございまする」顔見知りではあるが、ここは改めて慇懃に挨拶をした。「これは、これは源次郎殿、この度はご出世おめでとうござる」「今、佐内殿に志乃殿のことをお願いいたし、快諾をいただいたところじゃて」主膳の言葉に眼を輝かせ「ははー、ありがとうござりまする。拙者必ず志乃殿を幸せにいたしまする」
早速酒宴が始まった。酔いが程良く回った頃、佐内は「源次郎殿、今回のお手柄は今村殿のご子息との合わせ手柄と聞き及んでござるが、詳しい手柄話を是非お聞きしたいものじゃ」とせがんだ。「いや、大したことはござらぬ故、どうかご勘弁を」一度はそう断ったが、佐内が余りにもしつこいので小柳中老と約束した秘密事項以外を掻い摘んで話した。佐内は頷いたり、相槌を打ちながら聞いていたが「して、武将は木村長門守の家来とのことじゃが、姓名はなんと申されたかな?」「中村丹波と申されし武将でござる」「なにー、しかと真か!」と、佐内は顔色を変え、眼を吊上げた。余りの豹変さに驚き「どうなされた、佐内殿!」主膳はたじろぎながら言葉を返した。佐内は立ち上がり膳を蹴り飛ばすと「た、た、丹波は拙者の兄じゃ。源次郎、貴様は兄を討ったと申すかーもはや武藤の家ともこれまでぞー志乃の話はご破算じゃー」激しく罵倒すると武藤の屋敷から走り出た。
父子は佐内の余りもの豹変に、取り付く島もなかったのである。源次郎は先ほどから頭を垂れ黙って畳を見ているが、眼は虚ろである。主膳は呆然と立ちつくし、庭に眼をやったままである。「辛いだろうが諦めい。‥二百石の扶持をいただき、お小姓組に抜擢されたそなたの前途は洋々たるものぞ。志乃殿だけが女ではあるまい」「父上、拙者は諦めきれませぬ」強く言い切った。あの時、丹波殿が申された言葉(井伊家にまんざら縁なき者でない)を思い出していた。ー丹波殿はこのことを申されたのかー不思議な縁に翻弄される己に因果を感じた。「しかし、お前は中村家から見て、不倶戴天の敵ということになろう。無論、戦国の世ではよくあったことじゃが、これを当家からは言い出せぬ。それに、彦根藩士となった今、志乃殿と手と手を取って逃げ出す訳にもいかぬからのう」「分かっておりまするー」源次郎は辛かった。志乃と一緒になれるよう一命を投げ打って功名の手掛かりを作ってくれた久助の事を思った。(このままでは志乃殿と逢うことも叶わぬ、久助もう一度助けておくれ)願わずにはおれなかった。翌朝、父に呼ばれた。「昨夜一晩考えてはみたがよい案が浮かばぬ。どうであろう、中老様におすがりしてみては」「父上がそう仰せなら拙者一人でお会いいたしまする」「そう申さば、お前はもう立派な彦根藩士だのう」
「ほー、左様なことがあったのか、なんとまあ奇縁なことじゃのう。拙者が中村佐内に頼めば断われまいが、それではお主達にしこりが残り、策としては下策じゃのう。お主が若江での丹波との今わの際での様子、もう一度詳しく聞かせい」中老は身を乗り出した。 中村佐内が内堀沿いの小柳の屋敷を訪ねたのは、日もとっぷりと暮れた頃である。提灯の明かりで歩きながら、突然の今夜の招きを訝しんでいる。重役屋敷が並ぶ一角を曲がると、白壁で囲われた大きな屋敷門に出た。佐内は奥の客間に案内された。「急に呼び出して済まぬ。何用かと気が揉めたであろう許せ」中老は機嫌がよいのか、人の良さそうな眼に笑みを浮かべている。「本日、その方に来てもらったのは他でもない。武藤源次郎に討たれしその方の兄、丹波のことじゃ。源次郎から丹波を討った時の様子、詳しく聞いたか?」「ははー、一通りのことはー」「詳細には聞いていないのじゃな。この話はなあ、訳があって詳細の他言無用と、拙者が武藤父子に口止めしておるので、詳細を語らなかったのは当然じゃ。拙者も殿との約束があり全ては語れぬが、源次郎達よりもしゃべれることを話してやろうぞ。その方が誤解も生まれず、丹波の供養にもなると思いお主を呼んだのだ」「有難き幸せにござりまする」「実はなあ‥」小柳中老は丹波、源次郎と久助が雑木林で出会ったところから語り始めた。それから久助の討ち死、丹波との組討ち、傷付き死を覚悟した丹波を逃がそうとしたこと、そんな源次郎に丹波が首を討たせたことまで、今村との話は出さずに詳しく語った。
佐内は小柳が語る言葉をじっと聴いていたが、眼に熱いものが流れるのを禁じ得なかった。「ご中老様、やっと詳細わかりましてございまする。いや、兄の今わの際の思い、また源次郎殿の兄に対する誠実さ、身に染みてございまする」「ここだけの話だが、丹波がそちの兄であることを存じておれば、恐らく藩の軍令を破っても、戦う前に逃がしたであろうのう。そういう若者じゃて源次郎は。故に拙者は、あやつをお小姓組にと殿に推挙したのじゃ」。佐内は知らぬこととは言え、自分が武藤家で源次郎達を罵ったことを恥じた。「実は源次郎殿と拙者の娘はかねてより好きおうておりまする。先日、武藤家から娘を嫁にと申し入れがございました。ただ、源次郎殿から討った相手は中村丹波と聞き、詳細も確認せず、断りを入れたのでござりまする」佐内は身を恥じ入るように細ぼそと語った。「さぞかし、二人は悲しみに暮れていような。佐内、それでは二人の婚儀を認めるのだな」「認めるも何も武藤家がもらって下さるのであれば‥」「そうか、それは目出度いのう。夕餉の支度も出来ている故、ゆっくりしてゆくがよかろう」静かだった小柳屋敷の客間から笑い声が響いた。
琵琶湖に秋風が吹き始めた頃、源次郎と志乃の婚儀が目出度くとり行われた。主膳たちが中堀町に移り、待ちに待った甘い新婚生活が始まって間もなく、庭に祠も出来上がり、神職を招いて入魂式の日を迎えた。祠には源次郎が持ち帰った丹波の兜を奉納した。源次郎は祠に宿り給う丹波の魂に心の中で呼びかけた。「丹波殿、お陰で貴方様の姪御の志乃殿と添い遂げることが出来、感謝してござりまする。子が生まれれば、あなたのお血筋でもあり、立派な武士に育つと信じておりまする。我家が続く限りお守りくだされますよう、お頼み申しまする」
やがて、二人は一男、一女を授かった。男子は長じて江戸詰となり、源次郎隠居後は三代藩主の直澄の懐刀として、幕府や諸藩との交渉役を務め活躍した。後に三百石の加増を受け武藤新家を五百石と大きくした。この三百石は奇しくも、源次郎が今村家に横取りされた手柄分に相当する。この事に関しては、かって小柳中老が(井伊家は借りができた、いつか返せる日が来るかも)と、言った言葉が思い出される。井伊家が武藤新家に借りを返したのか、はたまた丹波の魂が、源次郎の息子をして、加増を受けるに値する力量を与え給うたのか、真相は闇の中である。
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