随筆・評論 市民文芸作品入選集
入選

天国からのメッセージ
大東町 水樹 周一郎

 「これって、カメラだったんだわ!」
 亡くなった義父の遺品を整理していた妻が不意に、傍らにいた私に声をかけてきた。小型のテープレコーダーかなと思い込んでいた物が、よく見ると小型のカメラだったのである。古くなった革のケースに入ったカメラを手に取った私は早速カメラをケースから出して、ひよっとしたらフィルムが入っているのでは?と思い、フィルムの巻き戻しのボタンを押してみた。しかし、微動だにしない。そこで乾電池を取り換えようとして蓋を開けると、中の金具がすっかり緑青に覆われていた。ドライバーで錆を落として新しい乾電池を入れ、再び巻き戻しのボタンを押すと、今度はザーッという音がしてフィルムを何とか巻き戻すことが出来た。
 フィルムを取り出した私は、
 「一体、何が写っているんだろう。」
と少し興奮しながら妻に話し、すぐにいつもの写真店にフィルムを持って行った。
 翌日、焼き付けられた写真を見た私は驚いた。何とそこには満開の桜を背景に、一週間前に八十六歳で亡くなった義父と、四年前に七十九歳で亡くなった義母とが並んで写っているではないか。写真の二人の様子などから、少なくとも十年以上前の写真ではないかと思われた。
 帰宅して妻に写真を見せると、妻は私以上に驚き、瞬く間にその目に涙が溢れた。
 「確か父が七十五歳の時に、右足の感覚が鈍くなっていて危険だからと相談して、自動車の運転をやめてもらったのだよね。両親が車に乗って公園へ行って写真を撮ったのだとすると、この写真は十一年ほど前に撮ったことになる。」
と二人で推測した。
 「今頃になって、こんな写真に出会えるなんて・・・。」
と、妻は感慨深げに呟いた。
 亡くなった両親の実の娘である妻は、生前の父母が仲睦まじい夫婦ではなかったことにずっと心を痛めていた。その両親が満開の桜を背景に仲良く並んで写っている写真を見たのであるから、彼女の感慨はどれほど深かったことだろう。
 「これはきっと、天国からの両親のメッセージに違いないよ。」
と私は妻に言った。
 義父が脳梗塞で倒れ救急車で病院に運ばれて一ケ月半の入院治療をしている間に、私達夫婦は病院での付き添いや、義父の家の片付けなどに明け暮れていた。それまで元気に一人暮らしをして好きな書道や民謡などを楽しんでいた義父が少しでも健康を回復して家に戻り、リハビリが出来るようになればと願っていた。それが全て空しくなった後での、まさにミラクルと言ってもよい生前の両親揃っての写真の突然の出現は、喪失感と疲労感のない混ざった妻と私の気持ちを、一気に解放し癒やしてくれた。
 私は若い頃から写真を撮ることが好きで、沢山のフィルムを使って様々な場面を撮ってきたし、アルバムにも残してきたのだが、今回のこの両親の写真ほど感動し、驚いた写真はなかったように思う。テレビやビデオや映画の映像が視聴者に訴える力は実に大きなものがあり、静止した写真は到底かなわない。けれど、あの有名なロバート・キャパが撮った一枚の写真が訴える世界が決して映像に劣らないものであった様に、偶然に撮った一枚の写真であっても、名もない人間の生涯のかけがえのない時を刻み、その意味を語り、伝えることがあるのではないだろうか。
 「この写真を大きく引き伸ばしたいな。」
と妻が言ったので私は頷き、早速写真店に行って大きく引き伸ばし、額に入れてみた。この四年の間に相次いで両親を亡くした妻だったが、その額に入った写真を見て、彼女が初めて笑った様に思われた。
 「忌明けが済んだら、両親の遺影として、この写真を父が使っていた机の上に置くわ。」
と、いかにも嬉しそうに妻は言った。
 暖冬とは言え、長く寒かった冬が過ぎて桜が咲く季節となった今、満開の桜の中で仲良く並んで写っていた両親の姿。十一年もの間、カメラの<タイムカプセル>に入っていて、よくも消失・変質せずに存在していたものだと、今更ながら感心・感動している。両親共が最期の別れの言葉を私達に伝えることをせずに逝ってしまったのだが、十一年の時を経て、仲のいい写真の姿で私達に別れを告げようとしたのだろうか・・・。
 あの『千の風になって』の歌ではないが、亡き両親は、<死んでなんかいないよ><墓の中にはいないよ>とでも言っている様に思われてならない。もはや両親の姿は見えず声も聞こえないが、懐かしい思い出と共にいつまでも私達の心の中に生き続けてくれるのだろう。


( 評 )
 遺品の中から出てきたカメラには古いフィルムも残されていた。その写真には生前に心配されていたこととは逆に、両親が仲睦まじく並んで写っていた。満開の桜を背景にした一枚の写真が語りかける意味を考え、写真家・ロバート・キャパの仕事のすごさに思いを馳せている。会話の扱い方に一工夫が欲しい。

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