随筆・評論 市民文芸作品入選集
入選

サムシング グレイト
芹川町 木村 弘和

 腰かけた椅子の背後から、ガラス越しの陽光が頁を照らしている。と、活字の余白に揺らいでいる陽炎に気づく、「春だなあ…」。
 気配を感じるのに実体が見えないもの…。
 二十二年前の朝出勤前、歯を磨いていた私は、舌の左側に、痺れと軽い痛みを感じた。
 「何か変だな」と思い、妻に声をかけるのだが、呂律が回らない。彼女は即座に「お父さん病院へ行こう!」と命令的に言った。異常を察したらしい。車で守山の「成人病センター」に着くと、診察までの小一時間、待つ間に何度か試みたが、話せないままだった。
 担当医F先生が来られた時には、自分の状態を普通に説明することができ、何だか嘘を言っているようにも思った。直ぐにМRI造影検査を受ける。異常な個所を見いだせなかったので、即刻入院し、さらに詳しい検査を受けることとなり、三日後、アンギオ画像検査。
 点滴で栄養を補給し、大腿部の足のつけ根からカテーテルを入れ、動脈内に造影剤を出しながら上部へと辿って行き、血栓の詰まりそうな箇所を、特定しようというのだが、局部麻酔のため医師同士の会話が聞こえ、不気味だった。検査後一晩、仰向きのまま、傷口を重しで固定し快復を待たねばならない。
 睡眠薬を投与して、静かに眠れるように配慮してもらったが、寝ずに付き添った家族の話では、ひどくうなされていて、あらぬことを口走っていたという。
 その「夢幻」の状態は、今も覚えている。何処だか分からないが、果てもなく広い春の野原に、一人寝ていて身動きがとれない。白い、夏の単衣に、カンカン帽の人が遠くから見ている。逆光で顔ははっきりしないが即座に「祖父さんだ」と思ったが、声が出ない、もがいているうちに目が覚めた。
 当時の病状は、脳梗塞一歩手前の、一過性脳虚血発作で、本物の卒中に進行する確率が非常に高く、再発せぬように治療し続けなければならない。血流を良くする「抗凝固薬」が欠かせないものとなった。生活習慣を改め食事の脂質や糖分を控えめにし、運動量や睡眠時間を増やす…。二ヶ月の入院後、やっと社会復帰したが、四階の病室から見える守山高校のグラウンドの生徒達の、若い健康な体を羨ましく思ったものだった。
 だが、一年後同じ症状が再発した。彦根市立病院に入院、発作の状態が長く再起できないかと、半ば観念した。二週間が過ぎる頃の深夜、ベッドの上の天井の隅の辺りから幽かに声がしたように思った。
 「もう大丈夫だよ…」
 六床の部屋なので、誰かの独り言かと、見廻したがそんな様子はない…。その時、何なのかは分からぬが、神秘な存在、霊的な気配を感じていた。超越した実在が私を見守っていてくれる…。
 医師の紹介で、伏見の「済世会」病院へ、更に詳しいMRI検査を受けに行った結果、頸動脈から、脳に入る部位が、S字状に括れて細くなっている個所が、発作の原因と思われるという説明を受け、今受けている治療でいいとのことだった。以後再々発はしていないが、確たる自信はない。
 『梁塵秘抄〔りょうじんひしょう〕』の今様の中に「仏は常にいませども現ならぬぞあはれなる人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見えたまふ」というのがあり、昔の人もそう考えていたかと思ったりするが臨死体験談の「幽体離脱」や光に向ってトンネルを抜けると花野に出て、故人達に会う話などは洋の東西を問わず同じような説明になり、これはヒトの脳の癖だとする脳科学者もいる。
 先ごろ伊勢に参宮した折、宇治橋を渡り玉砂利を踏みしめながら、参道を本宮へと向かう途中の空間、何百年を経た杉や欅などの大木、鎮まった空気、せせらぎの音、杜の精気などを身に受けていると、その中へと包み込まれてしまいそうな、小さな存在でしかない自分を感じる。本宮の社や他の神々の鎮座まします社さえもが、もっと大きな「もの」に包まれていて、その一部でしかないように思われた。言葉にできない、始源的な自然を超えた大きなもの…。
 西行作といわれる、
 「何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」
 という歌は、熊野や那智や高野山等で、魂を震わせ、気配を感知させる存在を表現したものであろうと思われる。
 古代の人々が、物の怪や怨霊を恐れ、生霊や言霊を意識し、日常の中に感じていたことも、一途に迷信だと、かたづけられないものがあると思われる。科学的な思考に、馴染まない世界を、「ない」と決めつけてしまうのは、惜しいような気がする。人間の独り善がりではないか? 「超越した存在」も「あると思う人にはあり、無いと思う人にはない」のであろうか…。


( 評 )

 ひとことでは言いきれない「偉大なる何物か」がある。日本の古典文学の中にも、そのような詩歌がある。その大きな力によって生かされている小さな存在を知ることも、科学万能の世の中では有意義ではなかろうか。との問題提起は興味深く、筆者自身の入院体験がうまく生かされている。


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