随筆・評論 市民文芸作品入選集
入選

涙霞
大薮町 外村 輝夫

 今年の元旦は、暖冬予報に反して雪が積もった。私は雪が一面に積もって、真っ白く広がる風景が好きである。まばゆい陽の光と、足を踏み入れない大地との空間に、心が洗われるような気がするからだ。
 三月に入ると紅梅の香りと、うららかな東風が語らって庭先が賑わってきた。やがて樹木が萌黄色に染まる頃、息子に二人目の子どもが生まれる。私たち夫婦には四人目の孫だ。妻と二人だけの生活が八年ともなると、ことさら孫の誕生が待ち遠しい。
「お腹の赤ちゃんは、男の子ですね」
 昨年末、先生から息子に告げられた。すると、三歳違いの姉と同じ、男の子と女の子一人ずつの親となる。学生時代、結婚すれば子どもは自然に恵まれる、と信じていたが、子や孫は授かりものである。
 孫の出産まであと少し、母子ともに健やかで、無事生まれるよう願ってやまない。
 六年前、娘が初孫となる長男を出産した。いま、三歳下の妹と幼稚園に通っているがこの春一年生だ。先月、妻と祝いのランドセルを買いに行ったが、その日も雪が降っていた。時間のかかる妻に付きあうのは、私にストレスを感じさせる。あとを妻にまかせて窓越しに、何気なく雪空を仰いでいると、ふと、あの日のことを想い出した。
 昭和五十二年一月。この月の最深積雪は五十九センチメートルというが、いまでは想像がつかない。当時、娘と息子の年齢は、娘の孫たちと同じで、ともに城南保育園に通っていた。私が朝の出勤時に園に預け、夕方共働きの妻が迎えるのが日課だった。
 その日は、夜中の雪がやんで、冬晴れの凍てつく朝だった。そういう日に限って息子の通園支度がもどかしい。見かねた妻がいらだちながら声を荒げて息子をせかす。
「まだかぁ、何してる。早うせな遅れるで」
 何を言われても一向に気にしていない。
 手をとめて、私の耳元にささやきに来た。
「お母さんは、いっつも、やかましいなぁ」
 午前七時、駐車場の除雪とタイヤチェーンの装着を終えた頃、二人がやって来た。
 城南小学校から城南保育園の界隈は、住宅が立て込んで当時の面影がない。小学校の体育館横から数百メートルあるかなしの細い道は、車の対向がやっとだった。道いっぱいが雪に覆われると、側溝との区分けがつかない。車の轍や人が歩いた跡もなかった。その細道を突きあたって、右に折れると保育園だった。私は車を降りて、雪を掻きならそうかどうか迷ったが、こんな雪の日は、そうそうないだろう。やがて娘が小学校にあがれば、息子は一人で通園しなければならない。いまのうち、少しでも体験を積ませておきたいと考えた。
「お父さんも一緒に行けるといいけど、どうや。ここから二人だけで行けるかな」
 娘に託すように、願いを込めて言った。
「うん。お父さんは、お仕事あるし。二人で行くから・・大丈夫やから」
 私を気遣って微笑んでくれた。息子の顔は、どことなく愁いを含んでいまにも泣きだしそうだった。いま泣かれては困る、泣かないように目をそらせて娘に言った。
「気をつけてな。大丈夫やからね」
「うん、わかってる。ちゃんと行くから・・」
「端っこは、溝があるから真ん中をなぁ」
 娘は《弟の面倒をみるのは私なんや》と言わんばかりに、二度、三度頷いた。
「お父さん、そんなら、行ってきます」
「ゆっくり行くんよ。お姉ちゃん頼むね」
 あとは娘に任かそうと車に乗り込んだ。膝上まで積もった雪を、掻き分けながら進むのは、たとえ大人でも難儀する。
 二人は少し進んだかと思えば、たちまち息子が足を取られて前のめりに転ぶ。すかさず娘が腰をかがめて、抱き起こしながら何事か話している。また、転んだ。息子の顔や服の雪を払おうとするが、通園鞄と草履袋が、雪につかまれて腕に絡みつく。
 二人の心情を思いやると、園まで無事たどり着けるのか、心細さと不安が胸をよぎって、動悸が抑えきれなかったに違いない。私のせめてもの救いは、いまこの時間を姉弟でわかち合っていることだった。
 歩き始めてからの二人は、ただの一度も私を求めて、振り返ることをしなかった。それが私の胸をしめつけ、たまらなくさせた。何とか無事たどり着いてほしい。
《二人ともファイト!がんばれぇー。もう少しや・・。お姉ちゃんありがとうな》
 願いが届けとばかり心の声で叫んだ。やがて手を取り合って歩む二人が、少しずつ小さくなって、雪の中に見えなくなった。
 私の好きな雪景色ではあるが、それからというもの雪を見るたび、あの日の情景が脳裏をかすめる。そして、新雪に映える二つの小さな影と、細く、長く刻まれた足跡は、涙霞となってよみがえってくる。


( 評 )
 保育園への深い雪道を行く幼い日の二人の子供を、はらはらとしながら見送った遠い日のこと、小さくなっていく二人の姿と、父の思いがよく書き込まれている。題名が難解で、なごやかな家族の風景を語ることに、直ぐに結びつかないことが悔やまれる。

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