モロコ
「モロコが手に入ったのでこれから届ける」と、実家の弟からの電話を受けた。
「この寒いのに持ってきて貰うなんて憂いわね」と言いながらもいそいそと来訪を待った。
やがてモロコが到着。私は弟という気易さもあって早速持参した包みをあけた。パックの中には、一匹一匹丁寧に焼きあげ、それを甘酢に漬けたものと、佃煮風に焚き大豆の煮付けたのが共に頭を揃えきれいに並べてあった。
「ワァーお美味しそう。モロコなんて何年振りかしらん」と思わず出た言葉だ。
そもそも北海道育ちの私には魚と言えば「鰊〔にしん〕」。それも北国では冬の感覚をもつ三月、鰊の腹の中が数の子か、しらこか、箸を付ける前に期待した思い出、鮭〔しゃけ〕、 〔ホッケ〕という魚も馴染みのある魚であって、琵琶湖産のモロコの事は名前すら知らなかった。滋賀へくる迄知らなかったし、口にする機会もなくすんでいたのだ。
初めての出会いは二番目の弟が大学受験を控えていた頃だから、半世紀以上も前の事だ。気分転換に琵琶湖へ魚釣りにいってくると、春まだ浅い日に出かけていって、モロコを二十匹程釣ってきたのだ。それが私とモロコとの初対面である。
釣りあげられたモロコは背が銀色に艶を放ち、腹部の方へいくに従って白く、体長十糎くらい小柄な魚だが、その姿は端正でツンとすました顔から口先は外の見慣れた魚には無い気品があるように感じた。琵琶湖の魚の中の貴婦人みたいな存在だな、と思ったりしたものだ。
普段の暮らしで魚といえば食べる事以外興味のなかった私が、このモロコとの初めての出会いで、何事も大ざっぱで無骨な自分に持ち合わせていない、否、反対のたおやかで繊細なムードがあるように思えて、魅せられた魚であった。
したがって日頃は持ち前のがさつな事しかしない私が、この魚を見て急に
「私が料理してみるわ」と引き受け、早速七輪に炭火をおこし、金網の上に一匹一匹丁寧に並べくり返し焼きあげたのには、日頃何事にも面倒臭がりやの私を知る家族の目を見張らせたものであった。
こんがり焼き目をつけたモロコは型崩れもなく相変わらず端正な姿で、煮付けとなって食膳にのぼった。今でも忘れられない美味であったこと。家族で「おいしいね、浩ちゃんのおかげ」等、日頃よく口喧嘩をする弟に礼を言ったものだ。
それが初めての出会いで、それからずっと琵琶湖の高級魚といわれるモロコとは、無縁の暮らしを続けてきたが、事ある毎に初めてみた姿や味に魅せられ、思い出話によく口にするので、家族や親類の間では、モロコといえば私の事が話題に出るくらいの関係になっていた。
魅せられた魚との対面が、再開するようになったのは、放置されていた農業灌漑用の溜池の再利用によるものである。
又一方琵琶湖も開発によって、魚達が産卵し増える場所が、コンクリートなどで固められたりの自然破壊によって年々数が減り、めったにお目にかかれぬ高級魚となった。湖国名産の鮒ずしのニゴロブナもめっきり減って、今は養殖が多いと聞くのも、共にうなずける話だ。
話は戻るが、村の有志達が放置されている溜池に目を付け養殖となった。名のみの春三月頃、モロコの雄と雌を放流、笹の葉等を入れ産卵に適する環境を造り、誕生した稚魚に餌を与えて飼育する。大体一年近くたつと、丁度食卓にのぼる大きさとなり、それを溜池の水を抜き掴んで、改めて用意してある水槽で十日程泳がせ、泥臭さをぬいて出荷する。大体一キログラム、平均三千五百円くらいの相場だとの事だが、琵琶湖畔の料理屋でもあまり見られないのは、矢張りその姿通り高級魚のひとつなのだろう。
過日、初めてお目見得させてくれた東京の弟にモロコとの再会の話をしたら、皆が喜んでくれたので再々釣りにいったが、当時は石垣の間の草の中にひそんでいて、手掴みでもとれたし、又赤虫という餌をつけて釣ったり、結構収穫があって面白かったと、暫くモロコ釣りの話に花が咲いた。
あれから半世紀、人間の勝手で開発という名のもと自然が破壊され、生物の生態系が脅かされている。かって七輪の炭火で一匹一匹焼いたモロコ、今、目の前にあるモロコ、共に相変らず端正な姿で横たわっている。
味も湖魚としての泥臭さもなく上品だが、半世紀余りの間の変遷を思うとき、矢張り自然の環境が、生きとし生けるものにとって本当の幸せではないのだろうか、と思ったひとときであった。
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