随筆・評論 市民文芸作品入選集
入選

地蔵盆
中央町 近藤 正彦

 「じいちゃん地蔵盆に行ってくるで」小学六年の孫は言うが早いか飛んでいった。
 地蔵盆(八月二十三、四日)が来るたびに六十余年前のあの夜を思い出す。
 まんじゅう屋の正男君とは小学校の六年同士、なにかにつけてどっこいどっこい、それ故よけいに気が合った。ことメンコに関しては彼の右に出る者はなかった。ミカン箱の中は、ぶんどったメンコであふれ、僕のメンコもかなりあった。男と男が勝負をしてとられたのだ。だから未練がましい事は言えないが、やはりくやしかった。しかし僕なりに悪ぢえがつき、近所の弱そうな子をおどして勝負をし、とられた分を埋め合わせた。
 今日は近所の酒蔵が地蔵さんの会場だ。正面には年代物の賽銭箱が置かれている。ところがその横でどっかとすわる正男君の前にも紙箱の賽銭箱が置いてある。低学年の子供達は一軒一軒お賽銭を集めて回り正男君の紙箱へせっせと貢ぐのである。昨年までは賽銭集めにかり出されたが、今年からは僕と正男君は金庫番、えらい出世をしたものだ。ぼちぼちと近所の人達も、おまいりにやってくる。菓子屋のおばちゃんはゆかたがけ、無造作に結い上げた洗い髪、そのうなじより漂うほのかな香りは母のそれとは又違った。「オローソク一本お上げやーす」賽銭をもらうと小さな手でローソクに火を灯もす、とその時賽銭箱に正男君の手が伸びた。その手ぎわのよさ、事もあろうにお地蔵さんの上がりをくすめるとは、僕は正男君をキッとにらんだ。だが正男君は何食わぬ顔で、こっちへ来いと目くばせをした。僕は呆然としながら後について行った「アイスキャンデーを買いにいくで」正男君はささやいた、しかし僕にはやめときと言う勇気はなかった、と同時にアイスにありつけると言う下心もあった。「おっちゃんアイス二本」正男君はにやっと笑いながら僕に一本手渡してくれたがやはり後ろめたさがあった。僕はアイスを食べかけたが気がひけて味わうゆとりはなく、それにもまして気がかりだったのはもし母親に見つかれば、正彦にお金を渡した覚えがないのに何で食べてるの?と思われないだろうかと言う心配もあった。現在(平成の今日)なら毎月の小遣いを始め、お年玉とか収入の道はいくらでもあるので、買い食いは自由に出来るが、あの当時(昭和二十三年頃)は我が家にとっては三度のめしにも事欠くありさま。アイスキャンデー一本買うにもままならなかった。それにしても悠々と食べる正男君がうらやましかった。
 その夜は賽銭をごまかした事がばれて警察につかまれば、母に申し分けが立たないと思うとおちおちと寝つけなかった。
 時計がボンボンと二ツか三ツ、なにやら尻のあたりが生あたたかい。天罰てきめんとはこの事よ、しまったと思った時は後のまつり、さっきの場面は正夢だ。
 母はつい今しがた針仕事の夜なべも終り、やっと寝入ったその矢先、頭のひとつも叩いてくれりゃ、ちっとは気が楽だけど何も言わずに後始末、母を見るのがつらかった。
 明くる朝、窓辺に干された千界地図(おねしょをしたふとん)僕はそれを見てがっくりと肩を落とした。
 片想いのチエ子ちゃんに見つけられたらどうしょう生きた心地がしなかった。
 僕は生まれつき、どうも蛇口の栓がゆるいらしく、夜な夜なおねしょをして母のやっかいになっていたがそれも半年前にピタッと止まっていたのだ。
 正男君の後について行っておなさけのアイスをもらっただけとは言うものの僕も同罪、お地蔵さんは見のがしてはくれなかった。
 明くる八月二十四日は町内より近所のうどん屋へおよばれにつれていってもらった。
 僕には昨夜のアイスの一件があり、低学年の子供達のつめたい視線を感じたのは、気のせいだったのだろう。
 素うどんとは言え、あの時食べたうどんのうまかった事、今も忘れられない。
 あの夜から一週間が過ぎ去った。
 正男君が寺の石垣から落ちて向こう脛を五針も縫う大けがをしてしまったのだ。
 しかし当の本人は地蔵さんの祟りとは気付いていなかった様である。
 平成二十二年二月。
 かつて地蔵さんの会場だった酒蔵はすでにとりこわされていて、マンションの駐車場になっている。元酒蔵前を通るたびに、あの夜の出来事が頭をよぎる。
 片想いのチエ子ちゃんは幼稚園の先生だったと言う事を風のたよりに聞いたけど、その後どうしているのだろうか。
 メンコの名人正男君は、フリーマーケットの主人となり、全国をとび回っている。今は孫三人の好々爺、遠い昔のあの夜の事を話そうかなとも思ったが、野暮な事を言うのはよそう、僕の胸にそっとしまっておく事にする。



( 評 )

 地蔵盆のお賽銭をくすねたのは、メンコの名人正男君だった。「遠い昔の地蔵盆」のできごとを軽妙にユーモラスに綴ってあり、作者の人柄が偲ばれる一編である。


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