わかれ
六年生のSちゃんを初めて見たのは、昨年の9月のことでした。同級生二人に囲まれて、雑談をしながら廊下を歩くSちゃん。よくある風景です。
でも、一見して健常児には見えません。両側の女児よりも極端に小さい体。校舎内にも関わらず、スッポリと帽子を被っています。そして、ゆっくりとした歩調が気になって、足元に目をやれば…。そこには、とても伸び盛りの子供のものとは思えない、か細い下肢がありました。
私は、昨年四月よりこの小学校に週三日だけ勤務していました。だから、Sちゃんのことを全く知らなかったのです。四年生の時から難病に罹っていた、ということを。そして六年生になってからも、ずっと入院していたことを。
それから、ちょこちょこと、Sちゃんを見掛けるようになりました。担任の先生の優しい介助を受けながら、六年教室へ向かう姿。友達と楽しそうに微笑みながら、音楽室へ移動する姿。そこには、ゆっくりゆっくりではあるけれど、確実に、自分の力で歩もうとするSちゃんの姿がありました。
私ができることと言えば、「おはよう」「さようなら」の言葉掛けと、子供達の様子を見守ることぐらい。始終見ていた訳ではないけれど、はっきり言えることは、Sちゃんが一人ぼっちで歩く姿を一度も見掛けなかったということ。その頃はまだ、一人で歩けたはずなのに。
やがて、木枯らしが吹く季節が訪れました。Sちゃんを見掛けることもめっきり少なくなった頃、車いすを押す友達の後ろ姿が目に入るようになりました。病気が進行してきたのでしょう。
そんな中、学校では、「マラソン週間」が始まりました。休み時間には、子供達が力一杯グランドを走り周ります。寒くっても汗をかきながら。「疲れた」と叫びながらも、思いっきり運動している、という満足そうな笑みを浮かべながら。
もちろん六年生も同じこと。体格のいい子供達が運動場を駆け抜けます。風のように爽やかに。
さて、Sちゃんはどうして居るのかな、と思えば。彼女が望むならば、誰彼ということなく、そっと車いすをグランドに運んで、一緒に「走りこみ」です。たまに、友達を応援する元気な声が聞こえていました。人一倍明るかったSちゃんの声。みんなの心が一つになっているなあ、と改めて学級の温かさを感じることができた一こまです。
ところで、Sちゃんの目には、元気な同級生達の姿が、どのように映っていたでしょう。
訃報は、暗い天気の朝でした。でも、二月だというのに、とても優しい雨の降る朝でした。長い闘病生活を終え、静かに天国に召されて行ったということ。目前に卒業の日が迫っているというのに。
悲しみに暮れる間もなく、慌ただしく過ぎてゆく日々。そして迎えた全校児童による、「六年生を送る会」。それぞれの学年が趣向を凝らして発表します、六年生への感謝を込めて。
最後に、下級生の思いに応えて六年生も披露します、軽快なリズムに乗った力強いステップのダンスを。一人ひとりが、それこそ持てる力を十二分に発揮しているような、そんな感じを受けました。そして、あまりにも六年生がハッスルするものだから、ついには五年生も総立ちになり、割れんばかりの手拍子足拍子。子供達の歓声で大盛り上がりの体育館。パワーに圧倒されてしまったのは、私だけだったでしょうか。
でも、自分達がどんなに興奮していても、決して疎かにしていないと確信できることがありました。六年生達の様子を気をつけて見ていると…。
なんと、ダンスの間も、Sちゃんの遺影は級友の胸にしっかりと抱かれているのです。どんなに激しい動きをしている時も決して離さずに途切れることなく。
隣の子に手渡す時は、大切にゆっくりとゆっくりと。順番にSちゃんとの思い出を噛みしめているかのようにも見えました。黒いリボンの中のSちゃんもどこか楽しげに微笑んでいるような。
やがて、三十人の六年生全員に遺影が回ったかと思われる頃、音楽が止み、また体育館は、現実に戻っていきました。下級生の「ありがとう」の言葉と拍手に包まれて、Sちゃんを先頭に六年生はその場を後にしました。
Sちゃん、明日は卒業式です。あなたは、その日をどんなに待っていたことでしょう。級友達は、明日もきっと、あなたを大事に抱いて臨んでくれるはずですよ。
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