スイセン
朝、戸口から一歩外へ出る。冷たく凍えそうな空気の中にも、ほんのりと春の訪れを告げる香り。スイセンだ。生前、義母が庭のあちこちに植えておいた球根たちは、毎年忘れることなく可愛らしい花を咲かせ、そして、義母と過ごした長い年月を顧みさせてくれる。
この家に嫁いできたのは三十年以上も前のこと。元来しっかり者の義母といかにも頼りなさそうな私。世間から見れば、プラスマイナスゼロに値するような絶妙の組合わせだっただろう、義母と私は。
ちょうどスイセンの蕾がほころび掛ける頃。三月にもなると、日ごとに夜明けが早くなる。ごく当たり前のことであり、人間にとっては喜ばしいことであるはず。でも私にしてみれば、「苦痛の種が、また芽吹きだした」とでも比喩できそうな季節の到来であった。
午前五時過ぎ。しらじらと窓から薄い光が差してくる。夢かうつつか分からない位のまどろみに居る中、階下から響く「シャー」というカーテンレールの音。もう少し寝かせておいて欲しいのに…、不満を言いたい気持ちをぐっと押さえて、のそのそと階段を下りる。
「お義母さん、おはようございます。」わざと作った笑顔で平然を装いながら、義母の手前、取り繕う。「早起きは三文の得」とはいうけれど、欲のない者が早く起こされたってちっとも得だなんて思えやしない…、まだ明け切らない空に向かって自分の思いをぶつけたこともあった。
しかしながら、義母だって、悪気があって早朝からカーテン開けをしていた訳ではないだろう。春になれば田んぼや畑の仕事が待っている。ゆえに早く起きることが習慣になってしまっていたのだろう、多分。
ところが、同じ屋根の下に暮らす者は、どうしても、この家を仕切っている義母のペースに合わさざるをえなかった。少なくとも嫁である私は。年中、夫に何やかや文句を言っていた自分であるが、とりわけ、この時節から始まる義母の早起きには悩まされた。特に、子どもに世話が掛かり夜に十分眠れなかった頃は、朝がくるのが恐ろしかった程だ。
そんな悶々とした嫁ぎ先での暮らしの中、唯一の楽しみといえば、子どもを連れて帰省することだった。それから、そこで一晩泊めて貰うことだった。まるで幼子のように指折り数えて待った、その日がくるのを。もちろん子ども自身も、母親と一緒に遊びに行けるたった一つの場所として、楽しみにしていたようだった。
あれは何年前のことだっただろう。ようやく待ちに待った「春休み」に入り、実家である高月の家に泊めて貰った時のこと。夜が明けたから起きなくては、と思い、もぞもぞと起きかけ、隣の布団の長男を見た。そしたら、その子が囁いた。
「母ちゃん、まだ寝ていてもいいんやで。まだ起きんでもいいんやで。ここは、高月なんやから。」
その何気ない呟きに暫く言葉が出なかった。気を緩めて朝寝坊している私を貶すのかと思っていたものだから。
「うん、そうやな…。」
一言だけで、後は何も返せなかった。嬉しくて有り難くて、そして、子どもに申し訳なくて。
しっかり者の義母に無理に合わせていたのは私だけではなかった。まだ小学生の子どもまでもが少なからず気を遣い、母親の思いを知らず知らずのうちに悟っていたのだ。
子どもは親の姿をよく見ているものである。早く起きるのは辛いと思いながらも、嫌々ながらその家で暮らす母親。辛抱することしか知らない、そんな親の姿が、子どもの目にはどう映っていただろう。
今は、もう独り立ちして親の元を離れてしまった息子。そんな「我が子」に、あの頃の気持ちを訪ねようとしても、知る術もない。甲斐性のない親に愛想をもつかしているのだろう。別にそれでも構わない、その子が納得して歩んでくれてさえいたら。
もうすぐ彼岸。明日は、義母の一周忌だ。まだ肌寒いけれど、確実に春はやってきている。なんとか溶けかけた雪の中に、頑張って咲いているスイセンを見つけた。やっぱり去年までと変わらない香りを漂わせて。
私にしてみれば、スイセンの季節が恨めしかった頃、義母はどんな思いで早起きをしていたのか。私に何を伝えたかったのか。この歳になりこの立場になった今、ようやく分かるようになってきた。
やっと豊かな時間が持てるようになったと思えるのは、義母と過ごした貴重な日々があったからであろう。ならば感謝の気持ちを墓前に届けなければ。義母が残してくれたスイセンを添えて。
|