随筆・評論 市民文芸作品入選集
入選

沢瀉おもだか
長浜市 森  和

 稲穂の露が落ちたころに刈り取りが始まったから、もう二枚目の田に取りかかる時分かと、私も正午前に出てきて驚いた。田は一面荒草が覆っている。
「昼までに刈ってしまおうと思ったが、この草ではどうにもならん。機械の刃が折れてしまうわ。昼から皆で、草を刈ろう」
 娘の夫が言った。九月に入って幾分涼しくはなったが、真夏日の茹だるような暑さだ。じっと立っているだけで汗が流れる。
 我が家は飯米百姓である。農機具がないので、機械化になってからは、本家の世話になってきた。耕作、刈り取り、脱穀、乾燥から米になるまでを頼み、畦塗り、田植え、補植、施肥、除草、水管理、畦草刈りは家族でする。
 そんな時、娘の夫が訪ねて来てくれた。
「うちには、新しい機械も揃たるし、わしが教えたるわ。父さんと二人で協力して、やってみんか」
 何事にも興味いっぱいの高校生の孫は、
「やる。やる」
 と大喜びした。早速、耕作から教わった。
 「はい。はい」とまるで学校でのように返事をしている。解らないことがあると、孫は叔父に携帯電話のメールで尋ねた。若いから、機械の操作を覚えるのが早い。
 宅地の中の田で耕地整理がまだなので、上の田と下の田の段差が大きい。間には川がある。四条植えの機械で川と車道を移動し、一方の田から他方へ上手に入れた。そして、誇らし気に、満足気にちらっと私を見る。
 田植えの一週間後、「除草剤撒布」と携帯電話の予定表に打ち込んだ孫の様子に、家族はすっかり安心した。学校から帰ると、毎日田の水の具合を見に行ってくれた。
 耕作の後の耕転機は叔父に洗ってもらったが、田植機は孫が家で洗った。
 「これで僕も、おっちゃんに認めてもらえるかなあ」
 と緊張と達成感の入り混じる顔で告げた。

 昼食を済ませ、私も鎌を持って田へ向かう。膝痛で、歩くのに難儀する。
 家並から東へ奥まったこの田は、田というより野原のようだ。まず、無数のアメリカセンダングサが一米以上に伸び、低木に等しい。稲は、そのあわいに小さく立つ。クサイ、クサネム、コナギ、沢瀉、ヒデリコ、カワラケツメイなどの荒草が、所狭しと位置を占める。沢瀉の絨毯が、田の面をびっしりと青く覆っている。
 動転とでもいおうか、声も出ない。孫も同じであろう。ぼおーっと突っ立っている。気を取り直して雑草を刈るしかない。アメリカセンダン草は鎌で刈り、他の草はなぎ倒す。沢瀉は別にじゃまにはならない。だが、この(注1)上田に、なぜ生えたのか。沢瀉は湿地に自生し、乾田には生えないはずだ。毎年除草剤も散布する。薬剤の届かない底の方で、地下茎が息を潜めて待っていたのであろうか。
 濃緑の矢尻のように尖った瑞瑞しい葉と、白い三弁の花の沢瀉を、悪草とは思えない。
私が子供の頃、家の田は湿田だった。除草剤はなく、手作業で何回も草取りに入った。その時白い花が咲いていた。子供の私にも、何か心引きつけられるものだった。
 あれから何十年も経って、沢瀉を目にしていとしい人に再会した心地になった。
 家族みんなで田に入ったが、草刈りに慣れない若い世代は、その術さえ分からず、座り込む。ああしろ、こうしろとの叔父の指図に、孫はおろおろするばかりである。汗は容赦なく吹き出る。そんな状態のところへ、娘も手伝いに来てくれた。
 あともう一回りで終わるという辺りで気が緩んだものか、私は沢瀉の上に倒れてしまった。
真っ暗になった。
 どれほど経ったであろう。耳元で、
「ばあちゃん、水を飲み」と孫の声がした。
 目を開けた。明るい。(注2)の柿の木の下に私は 体を横たえられていた。娘がタオルに氷を包ん で、頸椎や脇の下を冷やしていてくれる。孫はペットボトルを胸に抱え、私の顔を覗いている。 上を向いたまま、水を一気に飲み干した。「オシッコ出てしもてもええからな」孫のあたたかい言葉を聞いた。
 この日から随分過ぎて、孫が言ったそうだ。
「僕除草剤やるの忘れてたんや。お父さん黙っ ててな」野原のような田に、呆然と立っていた姿が今も目に浮かぶ。


注1… 上田(あげた)「あげ」「高田」ともいう。高い場所にあって水はけのよい田。
例 古事記上「其の兄―を作らば」↔ 凹田
注2…  字音は漢音でリョウ。呉音でロウ。 「クリ」または「クル」と呼び習わす。
「田畑の作物を植える小高い所」の意味だが畔の角の小高い所でたいてい柿の木が植えられ家の者の手がまわればそこに南瓜なども作る。

( 評 )

 高校生の孫にまかせた飯米農業のテンヤワンヤな稲刈り風景をユーモラスに描写している。本家と分家、家族総出の農作業など古き良き日本の風景が活写されており、雑草名や水田にかかる文字などに博識がうかがわれる。作品に山があり、オチもあり、変化に富んだ構成となっている。


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