随筆・評論 市民文芸作品入選集
入選

病室にて
大薮町 石井 笙子

 カタカタと廊下で看護師の押す台車の音が聞こえる。左腕の血管に繋がっている点滴はまだ半分残っているので私の病室に入って来るのではないらしい。時計を見ると朝の六時前。レースのカーテン越しに夏の陽射が眩しく今日も外は真夏日となるだろうが、私の居る五階の外科病棟は空調が管理されて外の暑さとは別世界である。
 手術前執刀医から「五日過ぎれば大丈夫」と言われ、その五日目には背中に付いていた全身麻酔の管も鼻から気管支に入っていた酸素の管も尿管も外された。右腹に胆汁を調べる管と腕に点滴が繋がっているが、初めてお粥が出ておいしかった。これからは日にち薬という何日かをこの病室で過ごすのだろう。上向きで自分の腹を撫でると鳩尾から臍に向って真っ直ぐの切開痕に触れる。ここから肝臓の左葉一キロ近くを取り出した。膿盆に入れた赤黒い不気味な固まりを夫が写真に残していた。事前に四時間程の手術と言われていたのに八時間も要したのは出血が想定より多く処置に時間が掛った為らしい。控室で待っていた夫はさぞかし落ち着かなかっただろう。それでも輸血せず、切開した具合で胃も全摘と聞かされ覚悟していたが胃は残したと聞いたのは麻酔が醒めてからだった。
 手術直後は軽く咳をするだけで腹の中が痛い。そう言えば手術前に寝返り、痰を出す等幾つかの練習をさせられた。又背中のうっ血を防ぐ為頻繁に寝返りをするよう指示されるが痛くて練習通りには出来ない。それでも手術の翌日には身体に器具を沢山つけた状態でベットに腰をかけ足をブラブラ動かしなさいと言われた。最近は手術やお産の後でもゆっくり寝させてもらえないと聞いていたが本当だった。点滴がぶら下っていても「歩きなさい」「自分でトイレに行きなさい」と指示される。これは身体の機能回復を早める最良の治療方法なのだそうだ。
 それにしても何故私が肝臓の半分を摘出するような病気になったのだろう。酒煙草は飲まず吸わず、B・C型肝炎検査も陰性である。乳癌、子宮癌の検査も定期的に受けている。入院経験も出産以外に無い。六十歳を過ぎてから高脂血症の数値が多少高くなったが、運動をして体重を減らせば解消すると言われていた。幾つかのボランティアと趣味の講座、週一度は卓球で汗を流し、どこに行くにも自転車で自他共に認める健康体と自負してた。
 正月当たりから鳩尾に小さい塊があるのに気付き脂肪の塊かと思いながらも一度診察を受けなければと思っていた。病院に行き各種の検査を受けて結果を聞く日は夫と来るように指示された。外科部長は各種の検査結果を示しながら「早期摘出」との治療方針を言われた。ドラマのように夫だけが呼ばれて聞くのではなく私と夫の前であっさり言われた。命に関わるとか余命を考える程の症状では無いのだろうか。疲れ易い、痛い等の自覚症状も無いのにいきなり摘出手術と言われて信じられない思いだった。その日はどうやって帰宅したのかの記憶が全く無い。
 私は今迄身内や友人の何人かを癌で失っているし、今二人に一人は癌になり、三人に一人は癌で死ぬ時代と言われている。だから健康と思っていても癌になる可能性はある筈なのに何故か自分は大丈夫と思っていた。親友が苦しんで逝った姿と今から手術する我が身が重なり涙が出て仕方なかった。よくこれだけ涙が出ると思う程泣けたが泣くだけ泣いたらさっぱりした。くよくよメソメソしても仕方がない。
私がしっかりしないと夫が心配する。こうなったら八百万の神仏と医師に我身を任せるだけだ。「成るようになるさ」私の極楽トンボの性格がここで本領を発揮した。
 手術後個室には十日居て移った四人部屋の窓から伊吹山が晴れやかに眺められ、日一日痛みが取れて身体が軽くなるのを祝福してくれるようだった。ベランダに雀が遊び窓すれすれに燕が飛んでいる。窓の外の生きとし生けるものは暑くても逞しく生きている。盆休み中も休まず回診して下さった医師や看護師達の励まし、毎日通ってくれた夫に感謝しながら私も逞しく生きようと思った。
 手術する前に息子達・老母・夫婦の身内友人知人には一切言わないと決めた。「息子には教えた方が良いのでは」と夫が案じたが東京、名古屋で家庭を持ち仕事に忙しい息子達には心配を掛けたくなかった。但し一カ月半家を留守にする理由が曖昧で、早々にばれてしまい新幹線で何度か日帰り見舞いに来てくれて苦言を聞く事になった。
 入院生活も一カ月過ぎ、食欲も出て病院食にも飽きた。ひと夏を病室で過ごしたがそろそろ秋の気配も感じられ、この病室と別れる日も近いだろう。今月は我が二度目の誕生月と決め、生まれ変わったつもりで、今後の人生を大事に生きようと改めて強く思った。


( 評 )

 闘病記である。順調に回復され何よりである。術語、漢語が少々気になるが、ワープロで文章を書くとどうしても漢語が多くなる。別に悪いわけではないが、紙面の印象の問題だけである。医学知識をお持ちのようだが、インフォームドコンセントはどうなっていたのだろうかと気になる。


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