随筆・評論 市民文芸作品入選集
特選

草野球
中央町 近藤 正彦

「あんた、この古くさいバット処分するで」。
「ちょっとまった」。僕はあわてて引き止めた。
 想い出のこのバット、こいつと別れてなるものか。
 昭和二十年八月十五日、終戦、その日を境に兵隊ごっこはぴたっとやめてしまった。
 それに変わってやり出したのが三角ベース。
 ビー玉を芯にして、ぼろぎれをぐるぐると巻きつけてボールとし、竹のバットで打つとカーンと鳴った。
 ところがこのボール、すぐに破れてしまい子供なりに苦労をした。
 町内には天神さんのお旅があり、ぜっこうの広場だったが、食糧増産のため、畑にとってかわった。僕たちはやむなく、れんげい寺の門前で野球をやるはめになった。学校から帰るとかばんを放り投げ門前に駆けつけた。
 宿題を忘れても野球だけは忘れなかった。
 仲間が四、五人もあつまれば試合開始だ。
 ある日先輩のSちゃんがぴかぴかの軟球をもってきた。これでぼろぎれボールはご用済み、僕は医者さんの塀に向かってポーンと放り投げた。
 僕はSちゃんお気に入りのキャッチャーだ。
  Sちゃんの球は速いが、コントロールが今ひとつ。だが黙々とボールを受けた。「いくぞー」。大きく振りかぶった、投げた。僕は思い切り手を伸ばしたがミットをかすりもしなかった。次の瞬間ギャーと悲鳴が上がった。
 悪い事に僕の後方で野球を見ていた寺の坊やの顔面に直撃だ。それを見た連中はあっと言う間に消えてしまった。僕もとっさにとんで帰ろうとしたが、思いとどまった。ボールを確保する責任があるのだ。泣きじゃくる坊やの唇にはうっすらと血がにじんでいる。
 ボールを手に呆然と立ち尽くした。ただならぬ悲鳴を聞きつけた住職が庫裏より血相変えてとび出して来た。いつもならこの時間は檀家回りで留守がちなのに、ついてない時はこんなもので今日に限って寺にいたのだ。
「どうしたんや」「ボールを当てられた」「だれが当てたんや」と言いながら住職は僕の顔をキッとにらんだ。絶体絶命、僕は言った「Sちゃん」聞くが早いか、きびすを返して走り去る住職の背中を不安げに目で追った。「正ちゃん、嘘をついたらあかんで、人は正直に生きんと」。日頃から母に聞かされていただけに、この時とばかりにSちゃんと言ってしまったのだ。しかし、Sちゃんとてわざとボールを当てたのじゃない、いわば不可抗力と言うやつだ。だがあの雰囲気では、とてもじゃないが住職に説明するゆとりは僕にはなかった。
 あの時、ボールさえ止めていたら。Sちゃんに合わす顔がなかった。
 あくる日は日曜日、竜泉寺で習うぼんさんのお教も上の空。
 同じ町内の子供にも派閥があり、長松院組とはめったに遊ばなかった。
 でもそうは言っていられない、気がつくと足は長松院へと向かっていた。
 境内では三角ベースのまっ最中、僕は門柱に手を添えてそっと中をうかがっていた。
 そのとき、リーダーのAちゃんが声をかけてくれた「正ちゃん、いっしょに野球をしよう」。
あくる日も長松院でボールを追った。
 四日目の放課後「Sちゃんが待ってやるでー」K君が誘いに来てくれた。Aちゃんありがとう、ごめんな。
 四日ぶりにみんなの笑顔に迎えられ、とりこし苦労も吹っとんだ。
 仲間たちは、バットをSちゃんにいつも借りているが、一人、二人と自分のバットを持つようになり、マイバットを持ってないのは僕ひとりになった。今日、言おうか、明日、言おうか、宿題も手につかなくなった。
 ある日、思いきって言った「母ちゃん、僕にもバットを買うて」。うつむきかげんにお針を
していた母は仕事の手を休め、僕の目をじっと見つめたあと、再び針を運んだ。
 その場にいたたまれなくなり部屋をそっと出た。
 その夜は何回も何回も寝返りをうった。
 その後バットの話はしなかった。
 三、四日たっただろうか、学校から帰ると割烹着のポケットより、なけなしの金を僕の手に乗せながら「これで買うてき」。
  「母ちゃんおおきに」。貰った金をしっかと握り、水流町の野村木工までとんで行った。
 「おっちゃん、バットー」夢にまで見たバットを肩に帰ってくると試合はすでに始まってい
た。僕は夕日をあびて打席に立った。ピッチャーのSちゃんは、打者の顔をぐっとにらんで投げるのだが、今日の目線は顔じゃなかった。第一球、空振り。第二球、見送りのストライク。第球、剛速球にバットは空を切った。でも、僕は、うれしかった。
 命拾いをしたバットは、今日も納屋の片隅にそっと立てかけてある。うっすらとほこりをかぶり。 ふと窓辺に目をやると、先輩のSちゃんが、オッスと手を上げて行った。


( 評 )
 第二次世界大戦直後の、極端に物資のない時代に育った少年たちのいきいきとした躍動感あふれる情景や、みずみずしい感性、友情、母親のやさしさと思い出のこもったバットなど、無駄のない表現で余韻のある作品となっている。

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