随筆・評論 市民文芸作品入選集
特選

利っしゃん
長浜市 森 和

 八月も終りの頃、南浜産の葡萄が送られてきた。 ()っしゃんからだ。鮎を炊いたからと持ってきてくれることはあったが、こんなことは初めてである。早速お礼の電話をした。
「去年の秋に入院してたんや。肺と心臓がえろてな、寝ることが多いもんやで足が弱ってしもたわ」
 いつもと変らない元気な声だ。病気知らずの、にこにこしている人で、入院だなど信じられなかった。
「よし子は、わしよりもひどいのや。洗濯も食事もヘルパーさんを頼んでいるのや。屋敷の草は、シルバーの人にやってもらうん」
 病名も聞かず、「お大事に。有難う」と切った。
 二、三日経って、近くに住む娘にそのことを話した。「今日は空いている」と言う。連れていってもらおうと、先方の都合を聞いた。
「デイサービスで今、玄関に出たとこや。どうしよう、休もか」
「ほんでも、そこの風呂が楽しみなんやろ。他の日にするわ」
 車に乗れないので、次の約束もしないまま電話を切った。娘に尋ねると、珍しく明日もよいと言う。都合を問い合わせるのも忘れ、大丈夫と勝手に決め込んで、支度を始めた。
 去年の入院は知らなかったので、見舞いや、当分食べられるおかずを買い求めた。私の得意のゴーヤーの佃煮や、減塩の梅干しなども用意して、いそいそと出かけた。すると、
「今日は、長浜の歯医者へ行かあった。暑いから朝早うシニアカーで出やあったんや」
 確かめなかったことを、心底後悔した。
 その日は、葉刈り屋さんが来ておられた。松は、昔のまま矍鑠として立っていた。座敷と直角に建つ書院、蔵もそのままだ。蔵の横を抜けると広い畑であったが、今は空地となり、きれいに整地されている。
 今年の夏は、(ひでり)続きで、暑い日が続いている。シニアカーは、スピードがなく、上に覆いもないから、帰りは夕方の積りだろう。
 よし子さんは、少々物忘れが進み、どこの誰だかよく分らないようだ。実家の屋号の『助右衛門』を伝えたら、分ってもらえるかもしれない。
「助ヨモから石田へ嫁にいってる和やで、小さい時は毎日来てたんや」
「ほうか、和ちゃんか」と言うが、すぐ元に戻る。話が噛み合わないまま、上がり框に腰を掛けていると、しきりと伯父が見えてくる。
 ここは、祖母の実家である。母は両親や、姉妹と早く死別して、ここを自分の実家のように頼ってきた。糀屋で、物心つく頃からよく遊びにきた。顔中笑顔で「和よ」「和よ」と可愛がってくれた。(むろ)の中は温とくて伯父そのものだった。利っしゃんは、兄がいたので、一九三八年か、九年頃、私の数えの六・七歳の頃は、大阪の製薬会社に勤めていた。歳を取るにつれて伯父そのままになった。あの笑顔は、室そのものの温みだ。
 この日、車の中に、手作りの惣菜を忘れたので作り直して送った。着いた頃を見計らって電話をする。利っしゃんの声が弾んでいた。
「冷蔵庫を開けたらいろいろ入ったるで、何やろと思てたんや。梅干しはうまかったわ。何やかすまなんだなあ。おおきに」
 秋も終りに近い頃、畑や、雑事に追われ、あっという間に過ぎていく日々の中、琵琶湖の生物について、物知りの利っしゃんに尋ねてみようと電話をした。
「もっぺん言うてくれ、聞こえんわ」
 の繰り返しであった。ややおいて、
「和、わし、耳が聞こえんようになってしもた。和……わし死んでしまうわ。今日橋本さんへ点滴に行ってきたんや、えろて、えろて、かなんさかいな」
 いつもとは違うな、おかしいなと思った。
「何言うてるんや、また行くわ。大事にしてな、待っててな」
 と切った。後ろ髪を引かれる思いがした。
 今年から畑をするようになり、年のせいか疲れやすく、それに、主婦の仕事も相俟ってどれ程過ぎたろう。実家の義妹より訃報がとどいた。四日前だという。すると、あの日から半月は経っている。すぐに訪ねなかったことが悔やまれ、泣いてしまった。泣けて、泣けて、しばらくその場を動けなかった。

 たたっと上るや、スーツ姿の笑顔の写真の前に、私は、膝痛の足を投げ出して座った。親鸞さんの足跡を車で辿る旅の夢が果たせないまま往ってしまった人。ごめんなさい。あの時、すぐに行けば会えたのに、ほんとにごめんなさい。一時間を座った。
「和、ようきてくれた」
 私の内耳に棲みついた利っしゃんの声が、あまりにも鮮やかに甦り、私を苦しめた。



( 評 )
 ちょっとしたものを届けたり貰ったり、そして様子を訊ねたり。幼友達であった「利っしゃん」との交流にこころ温められると同時に、高齢者の暮らしぶりをも垣間見る思いがする。旧友の死。「すぐに行けば会えたのに、ほんとにごめんなさい」という悔恨の言葉が胸を打つ。

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