<総評>
いま何かを語ろうとするとき、この春に起きた東日本大震災の惨事を抜きには出来ないし、何一つ人の胸に響かないだろう。言葉は果たして、いかほどの力を持ち得るのか。おおよそ文学・文芸に携わる人間にとっては、その真摯な問いかけが欠かせない。
東北出身の作家は少なくない。昨年四月に亡くなった井上ひさしも、その一人である。山形県川西町に生まれ、仙台や釜石で青少年時代を過ごした彼がもし生きていたとしたら、どんな言葉を発するだろうか。
井上は、この四月に出版された『創作の原点・ふかいことをおもしろく』(二〇〇七年NHK放映のインタビューを収録・PHP研究所刊)の中で、次のように述べている。
「人間の存在自体の中に、悲しみや苦しみはもうすでに備わっているので、どういう生き方をしようが、恐ろしさや悲しさ、わびしさや寂しさというのは必ずやって来ます。でも、笑いは人の内側にはないものなので、人が外と関わって作らないと生まれないものなのです」「笑いは、人間の関係性の中で作っていくもので、僕はそこに重きを置きたいのです。人間が言葉を持っている限り、その言葉で笑いを作っていくのが、一番人間らしい仕事だと僕は思うのです」
特選の『夏雲』は、井上ひさしが重きを置いたという「笑いの文学」ではない。しかし、獣害という深刻な題材を扱いながらも、農民らしい大らかなユーモアに満ちている。また、作者自身も、小説の現実世界の中を精一杯生きている。そこに救いがあり、井上も言うように「文学作品とは、生きる上での相当な導きのお師匠さんになる」(同著)ことを実証している。
常に、時代や社会と緊張感を持って向き合うこと。そうした創作姿勢を貫きたいと思う。
(木下 正実) |