歴史 宇曽川のいわれ

更新日:2021年08月27日

宇曽川の名のいわれには次の3つの説があります。

  • むかし舟で年貢米を運漕したことから運漕川が「宇曽川」と呼ばれるようになった。
  • 水があると思っているといつのまにか干上がり、少し雨が降るとたちまち湧き出るように水が押し寄せてくる、うそのような川だと言うことから「宇曽川」と呼ばれるようになった。
  • 織田信長が金剛輪寺を焼き払おうと攻撃を始めたとき、金剛輪寺から火の手があがったので、信長軍はもはや寺は焼けたと思い攻撃をやめた。ところがこれは真っ赤な嘘で、住職が本堂右手の高台で火を燃やさせたのであった。つまり住職の機智が金剛輪寺を救ったのである。そこで寺の近くから琵琶湖へ流れる川を宇曽川と名付けた。

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