植物 荒神山を緑に

更新日:2019年08月30日

 明治4年、日夏町の人たちは生活が大変苦しかったために、荒神山の木を競って伐採し、お金にかえました。中には根まで掘りおこし、薪にしてしまった人もいました。このため、荒神山はわずかな年月の間に全山はげ山となり、山崩くずれも発生しました。このことに心を痛めた若き戸長(明治初期、町村にあって行政事務をとりおこなった役人。いまの町村長にあたる。)大橋利左衛門は「はげ山になった荒神山を何とか昔の姿にもどし、村人たちのためになる緑豊かな山にしなくては…」と考え、村人たちを集めて「山に木を植えよう!」と呼びかけました。「そんなお金がどこにあるのだ!」「毎日、そんな仕事をしていたらどうして生活していくのだ!」といって反対するものもありましたが、利左衛門は村人を説得し、アカマツの植林をおしすすめました。また荒神山へは薪を拾いに行かないことやそのための見回り役なども決めたりしました。

 雨の降る日も、風の吹き荒れる日も、一日も休まず山林を見回る利左衛門の姿は村人たちの心を動かし、みんなが利左衛門に協力するようになりました。利左衛門は荒神山の植林のほか、日夏街道の開通や治水の仕事を行うなど、地域の人々のために貢献しましたが37才の若さでこの世を去りました。昭和37年、村人たちは荒神山を緑の山によみがえらせた利左衛門の数々の功績をたたえ、宇曽川にかかる天神橋のたもとに石碑を築きました。

荒神山と植樹に懸命な利左衛門の写真

植樹に懸命な利左衛門

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