ファンデーション物語
彦根ファンデーション誕生
彦根では、もともと足袋がたくさん作られていたのですが、戦後の洋装化とストッキングの登場という不利な状況に押されて、足袋工場に残ったのはミシンと女子従業員だけとなっていました。
そんな状況の中で「ミシンが踏める女子がたくさんいるのだから何かできるはず。」と考え、そこで選ばれたのが、ブラジャーの生産でした。こういう状況の中で始まったブラジャーの生産はやがていろいろな会社によって大きくなっていきます。
縫製が質を語る、アメリカ輸出物語
この彦根のブラジャー生産に転機が訪れたのは、昭和27年に対米輸出がもたらされたからです。それまでは、ほとんどの工場が国内向けの生産をしていました。
しかし当時の国内需要はまだまだ低く、ブラジャーというもの自体の認知度も低いものでした。よってどの工場も先の見通しのつかないままミシンを動かしていたというのが本当のところでしょう。
そこに、アメリカに輸出するという新たな方向が見えてきたのです。アメリカへの輸出量は予想よりはるかに多く、産地としての彦根は大きく羽ばたいていくことになりました。
彦根ファンデーションの転機
しかし、良いことばかりが続くわけはありません。昭和32年、「ワンダラーブラウス」と呼ばれる日本製の安いブラウスがあまりにも大量に輸出されていたため、アメリカはこのブラウスに輸出規制をかけてきました。当然、対米輸出が一層伸びているブラジャーも輸出し過ぎてはブラウスの二の舞になることは明白です。
そこで各メーカーは、自主規制に乗り出しました。この後、自主規制は本格的な輸出規制になり、また、香港の追い上げでもあって再び、国内向けの製品に切り替えていく必要がでてきました。
そんな中、昭和39年に彦根市縫製工業協同組合ができました。その後数々の苦難を乗り越えて現在へとつながるわけです。
時代の多様化に応える彦根ファンデーション
近年、下着への関心はとても高まっており、好みも多様化してきました。そんな時代の中で彦根のファンデーションは、多品種少ロットが可能という利点を活かし、さまざまなデザインの、優れた製品を世に送り出しています。
また、ファンデーションにとどまらずショーツなどの製品も作られています。
以上「彦根物語」から
メイキング・オブ・ファンデーション(ブラジャーの場合)
1 企画・デザイン
ファッションの動向をもとに、素材、色、スタイルの選択、新しい商品づくりについて、多方向から検討します。
プランナーのスケッチ画を忠実に具体化し、試着、修正を繰り返した後、工場量産用のパターンメーキングと縫製仕様書を作成します。
2 カッティング(裁断)
製造工程の第1ステップは、品質を左右する裁断工程です。マーキング、延反…とパターンに忠実に実行されます。1ミリの誤差も許されない経験と熟練を要する作業です。
3 カップの製作
ブラジャーは、カップのシルエットが生命。バストラインを美しく表現するため、カップづくり工程では、立体的に縫い合わせる技術が要求されます。
ベテランがこの工程で一針一針に神経を集中させ、品質の向上に努めます。
4 カップ台との縫い合わせ
カップを支えるバンド部分とのドッキング工程。バストをサポートして、しっくりなじむ着用感は、この工程がキーポイントで、高水準の縫製技術から生まれます。
5 ゴムテープつけ
着用したときの心地よいフィット感は、この上下ヘムへのテープ打ち工程で決まります。デリケートで伸縮性に富んだ素材を使い、慎重に縫製されます。
6 ストラップつけ
ストラップがずり落ちたり,肩づまりがしないように、一枚一枚ストラップの取付角度をチェックします。単純な作業ながら大変重要な工程です。
7 検査
中間工程チェックし、約30の工程を経た製品の最終工程です。一枚一枚丹念に検査します。
ひこね繊維協同組合
〒522-0074
彦根市大東町2-41(土川昭ビル2階)
電話0749-22-4769 ファックス 0749-22-4772
更新日:2024年09月02日