10月28日プレスリリース:企画展「彦根藩儒学の胎動―新たな学びの18世紀―」を開催します
名称
企画展「彦根藩儒学の胎動ー新たな学びの18世紀」
会期
令和7年(2025年)11月8日(土曜日)~12月7日(日曜日)
会期中無休
午前8時30分~午後5時
(入館は午後4時30分まで)
会場
彦根城博物館
展示室1・2
展示の趣旨
儒学は孔子(前522頃-前479)を開祖とする社会思想である儒教を根本とし、中国南宋時代の朱熹(朱子)(1130-1200)らにより体系的な学問となり日本にもたらされました。儒教のうち、とりわけ儒教道徳に基づく上下の秩序を重視する朱子学は、江戸時代には、幕府や各藩により社会・政治秩序を安定的に保つ上で役立つ学問として重んじられ、また、その教えを平易に紹介した版本の普及により、武士から庶民にまで広く浸透していきました。
彦根藩では、立藩以来、学問よりも武芸を尊ぶ気風がありましたが、17世紀末以降、儒学を積極的に学ぼうとする人々が現れます。18世紀前半にかけては、京都の朱子学者浅見絅斎(1652-1711)とその弟子若林強斎(1679-1732)の教えが広まり、一部の藩士や町人らに受け入れられました。とくに、強斎とその弟子は、彦根城下や高宮宿(彦根市高宮町)において、講師が受講者へ講義する「講釈」によって儒学の経典を読解して教授し、多くの聴衆を集めました。
18世紀前半からは、儒学を現実の政治に活かそうと試みた江戸の儒学者荻生徂徠(1666-1728)の教えも彦根の中・下級藩士を中心に受容されます。彼らは、同じ書物を輪読して対等に議論する「会読」の場を設け、儒学の経典を解読して、その解釈について議論を交わし、ときにはその議論が政治批判に発展することもありました。
18 世紀後半には、それまで好学の藩士を中心に学ばれていた儒学は、藩内で家臣教化の要として認められるようになりました。さらには、徂徠の教えを重視した彦根藩士野村東皐(1717-84)らにより、儒学によって人材を養成する場の必要性が説かれるなど、学校創設の機運が高まります。そして、その機運は、藩校稽古館の設立という形で結実し、彦根藩士が儒学を学ぶ体制が整えられました。
本展では、藩校創設につながる彦根藩における儒学の受容の様子や、人々の学びの実態を紹介します。




更新日:2025年10月29日