12月4日プレスリリース:テーマ展「彦根城と城下町―江戸時代の彦根のかたち―」を開催します

更新日:2025年12月05日

HP番号: 29115

名称

テーマ展「彦根城と城下町ー江戸時代の彦根のかたちー」

会期

令和7年(2025年)12月10日(水曜日)~令和8年(2026年)2月16日(月曜日)
12月16日・25日~31日・1月15日・16日は休館
午前8時30分~午後5時
(入館は午後4時30分まで)

会場

彦根城博物館
展示室1

展示の趣旨

江戸時代の日本では、徳川将軍を中心とする幕府と、大名を中心とする藩が一緒に国を治める体制を築き、全国の藩では、大名と重臣が城に集まり、城を拠点に領地を治める仕組みにより政治を行いました。この政治体制のもと、江戸時代は、約250 年もの間、戦争が行われなかったという、世界史において稀有な時代となりました。彦根城世界遺産登録を目指している滋賀県と彦根市では、彦根城がこの政治の仕組みに関する施設を最も良く残す、世界的価値のある遺産であると認識し、登録に向けた取り組みを推進しています。本展覧会は、政治施設に加え、城の軍事施設、城下町の社会基盤施設、交通・商業施設など、政治を基礎から支えたものに注目し、大名の統治の仕組みを紹介するものです。

慶長5年(1600)、関ヶ原合戦で大きな戦功を挙げた井伊直政(なおまさ)(1561-1602)は、佐和山城主となり、18 万石の領地を得ました。直政は2年後に亡くなりましたが、跡を継いだ子の直継(なおつぐ)のもと、徳川氏による西国支配の重要軍事拠点を設けるために、公儀普請(こうぎふしん)として彦根城の築城が始まり、同11 年末頃には天守と城郭の中心部が竣工しました。一方、築城と並行して城下町の建設も進められ、河川の付け替えや山の削平、低湿地の埋め立て造成などを伴う大規模な土木工事により、かつては芹川河口の農村地帯であった場所に、全く新しく都市が誕生しました。

井伊家は、家臣である武士を城下町に集住させ、武士の生活物資を供給する商人や職人を誘致しました。そのため、城下町は、領国における交通・経済の中心としても発展していきました。このような都市建設の仕方は、織田・豊臣政権のもとで発展した築城と城下町建設の手法を受け継いだものでした。築城と城下町建設は、大坂の陣への出陣により一時滞りましたが、陣後に彦根藩単独で進められ、元和8年(1622)に外堀の櫓、門など惣構えの完成を見ました。その後、彦根藩の領地が30 万石まで増し、家臣の人数が増えたことにより、城の惣構えの外にまで城下町が拡大し、江戸時代中期には人口3万人を超す大規模な都市に発展しました。

本展示では、具体的には、石垣や土手、堀、櫓、門、武家屋敷、足軽屋敷といった軍事施設のほかに、道路や水路、街区などの基盤施設、御殿や藩の役所などの統治・行政関連の施設、交通・流通関連の施設、商工業の機能を有する町家の施設などを取り上げます。これらの施設がどのような形態をもち、どのように配置され、彦根城と城下町の軍事・政治・交通・経済の各機能をどのように実現していたのかを明らかにします。

関連ページ

プレスリリース資料

この記事に関するお問い合わせ先

教育委員会事務局 彦根城博物館 学芸史料課史料係

電話:0749-22-6100
ファックス:0749-22-6520

メールフォームからお問合せする