10月15日プレスリリース:企画展「彦根藩御用絵師 佐竹永海―谷文晁 最後の高弟―」を開催します

更新日:2026年10月15日

HP番号: 31000

このたび、彦根城博物館において、みだしの企画を行いますのでお知らせします。

名称

企画展「彦根藩御用絵師 佐竹永海―谷文晁 最後の高弟―」

会期

令和8年(2026年)10月23日(金曜日)から12月7日(月曜日)
11月17日(火曜日)・18日(水曜日)は休館

開館時間:
11月30日(月曜日)まで‥午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
12月1日(火曜日)から‥‥午前9時~午後4時30分(入館は午後4時00分まで)

会場

彦根城博物館
展示室1・2・6

展示の趣旨

佐竹永海(さたけえいかい、1803~74)は、江戸時代末から明治時代初めにかけて活躍した絵師です。奥州会津の出身で、幼少の頃から地元の狩野派(かのうは)の絵師に画を学び、18歳ないし20歳頃、江戸に出て関東画壇を席巻していた谷文晁(たにぶんちょう)の画塾「写山楼(しゃざんろう)」に入り、20代後半にはある程度名が知られるようになりました。師の文晁は、あらゆる画風の作品を吸収、折衷して自家薬籠中の物とし、その貪欲な姿勢は「八宗兼学(はっしゅうけんがく)」と称されました。永海もまた、師同様に多彩な画風の作品をのこしています。

天保9年(1838)、永海は36歳にして彦根藩井伊(いい)家に召し抱えられ、御用絵師(ごようえし)として活躍します。それは井伊家12代直亮(なおあき)が文晁の弟子を所望してのことでした。以後永海は、13代直弼(なおすけ)、14代直憲(なおのり)の3代にわたり御用をつとめ続けました。安政2年(1855)頃には法橋(ほっきょう)に、同5年(1858)以前には法眼(ほうげん)に叙せられています。

永海の御用絵師としての仕事は、御殿の障壁画の制作や祝いの席での席画(せきが)などが挙げられます。彦根の下屋敷である槻(けやき)御殿(現・玄宮楽々園)の襖絵は現存しており、江戸上屋敷あるいは彦根の表御殿の襖絵を描いた可能性が指摘できます。また、嘉永3年(1850)の13代直弼の家督相続、万延元年(1860)の14代直憲の家督相続の内祝いの席において、永海が席画を命ぜられ、画は出席した藩士たちに下賜されました。

そして永海は、特に12代直亮の私的とも言える御用をしばしばつとめていました。例えば、直亮が「予が家宝」とした雅楽器の箱制作にあたって文様の下絵を描き、直亮が借り受けた掛軸を写し、絵の斡旋や鑑定を行うなどしています。永海は、幅広い趣味に生きた直亮の趣味を充実させる役割も担っていたといえます。

永海は彦根を訪れたこともありますが、基本的に江戸に住し、彦根藩の御用をつとめていました。その一方で、江戸の風物や神仏の画なども描き、市井の絵師としての顔を併せ持っていました。複数の版本の挿絵も手がけています。

本展は、佐竹永海の多様な画業と多彩な画風に注目し、永海の全容を浮き彫りにしようとするものです。多くの方々のご協力のもと、初公開の作品も数多く公開します。

当館は、令和9年(2027)2月11日に開館40周年を迎え、これを記念し、約1年にわたり、全9回にわたる展覧会「シリーズ THE DAIMYO」を開催しています。本展はその第6回となる展覧会です。

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プレスリリース資料

この記事に関するお問い合わせ先

教育委員会事務局 彦根城博物館 学芸史料課学芸係

電話:0749-22-6100
ファックス:0749-22-6520

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