彦根城内の文化財

更新日:2023年07月21日

彦根城内の指定文化財

特別史跡 彦根城跡(ひこねじょうあと)

特別史跡彦根城跡を上空から見た写真

国指定【記念物】

(昭和26年6月9日 史跡指定)

(昭和31年7月19日 特別史跡指定)

(平成28年3月1日 追加指定)

 彦根城は慶長9年(1604)に築城が開始され、およそ20年かけて完成した近世城郭です。かつての彦根城は、三重の堀・人工河川(現・芹川)や城下町を含む大城郭でした。その中で、中堀より内側の範囲は、石垣で構成された城郭平面構造が極めて良好な形で残っていることから、昭和26年に国の「史跡」、同31年には「特別史跡」に指定されており、国民共有の財産として大切に守られています。

 一方で外堀に関しては、近代以降の市街地改造によって急速にその原風景は失われつつあります。そのような中で、彦根城外堀跡全体を調査の上、平成27年11月13日付けで埋蔵文化財包蔵地(周知の遺跡)とし、そのうち彦根城の南東隅に相当する外堀土塁などは極めて良好な形で地上面にその姿を残していることから、平成28年3月1日付けで特別史跡彦根城跡に飛び地で追加指定されています。

国宝 彦根城天守、附櫓及び多聞櫓(ひこねじょうてんしゅつけやぐらおよびたもんやぐら)

国指定【建造物】 (昭和26年9月22日 重要文化財指定、昭和27年3月29日 国宝指定)

北東側から見た彦根城天守

 天守は、三重三階で、慶長11~12年(1606~07)頃に完成しています。構造は、通柱を用いないで各階毎に積み上げる方式をとり、高欄をつけた望楼を櫓に乗せる古い形式です。屋根は切妻破風、入母屋破風、唐破風を多彩に組み合わせて変化に富んでいます。また、花頭窓を最上階だけでなく二階にもつけた天守は、ほかに見られないものです。

 現在の天守は、昭和35年の解体修理の調査によって、旧天守の部材が認められ、大津城から移築されたものであると推測されています。

重要文化財 彦根城太鼓門及び続櫓(ひこねじょうたいこもんおよびつづきやぐら)

国指定【建造物】(昭和26年9月22日指定)

彦根城太鼓門櫓の写真

 太鼓門は、本丸表門を固める櫓門で、天守を目前にした最後の城門です。櫓門の南側には続櫓が連なっています。この続櫓の東壁面が開放され、柱間に高欄をつけて一間通りを廊下としています。城門の背面を開放することは非常にめずらしく、「太鼓門」の名前のとおり櫓門内に太鼓があり城内に太鼓の音を響かせるための工夫だとする説もありますが、定かではありません。

解体修理に伴う部材調査によりどこかの城門を移築したものであることが判明しました。

重要文化財 彦根城西の丸三重櫓及び続櫓(ひこねじょうにしのまるさんじゅうやぐらおよびつづきやぐら)

国指定【建造物】(昭和26年9月22日指定)

彦根城西の丸三重櫓のライトアップ写真

 西の丸三重櫓は、本丸に隣接する西の丸の西北隅に位置し、西に張り出した出郭との間にある堀切に面して建っています。西方の搦め手(裏手)からの敵に備えた守りの要でした。

この三重櫓は嘉永6年(1853)に大幅な改修が行なわれており、当初の姿は異なっていたと考えられます。

重要文化財 彦根城二の丸佐和口多聞櫓(ひこねじょうにのまるさわぐちたもんやぐら)

国指定【建造物】(昭和26年9月22日指定)

彦根城二の丸佐和口多聞櫓の写真

 二の丸には四つの城門、京橋口・佐和口・船町口・長橋口がありました。その中でも佐和口は、表門に通じる彦根城にとって主要な城門のひとつでした。重要文化財である佐和口多聞櫓は、いろは松側から佐和口に向かって左翼に伸びており、その端に二階二重の櫓が建っています。多聞櫓の北端が切妻屋根で終わっているのは、ここにあった二重二階の櫓門を明治初年に撤去した名残りで、本来は桝形を挟んで北東側に伸びる多聞櫓(現開国記念館)と一体のものでした。明和4年(1767)に火災で類焼し、現在の建物は明和6年から8年にかけて再建されたものです。

重要文化財 彦根城天秤櫓(ひこねじょうてんびんやぐら)

国指定【建造物】(昭和26年9月22日指定)

彦根城天秤櫓の写真

 天秤櫓は、堀切に面して建てられ、鐘の丸とは廊下橋で結ばれています。この堀切は表の備えで、大手門や表門から鐘の丸にいたる道になっており、橋と櫓門によって本丸が独立して防御できるようになっています。櫓の両側には、その名前が示すように二重の隅櫓を設け、正面から見ればあたかも天秤のように見えます。

建物土台の石垣は堀切側から向かって右側が築城当時の打込みハギ積み、左側が江戸時代後期の改修による落とし積みとなっています。

重要文化財 彦根城馬屋(ひこねじょううまや)

国指定【建造物】(昭和38年7月1日指定)

馬屋の写真

佐和口多聞櫓の奥には、こけら葺きの屋根が美しい馬屋が残っています。藩主の馬を常備したこの馬屋は、全国の近世城郭内に残る大規模な馬屋としてほかに見られないものです。建物内には、21もの馬立場・馬繋場が設けられ、東端には馬を管理する小部屋が付けられています。

平成27年度に二度目の本格的な文化財保存修理を終え、往時の姿を取り戻しました。 

名勝 玄宮楽々園(げんきゅうらくらくえん)

国指定【記念物】(昭和26年6月9日指定)

名勝玄宮楽々園は、大規模な池泉回遊式庭園である玄宮園と御殿に臨む池泉・枯山水庭園である楽々園で構成されています。

玄宮園の写真

玄宮園は、近江八景をまねたといわれる池泉回遊式庭園です。池に臨んで、臨池閣や鳳翔台などの建物が設けられました。中央に掘られた池泉には大小4つの中島が築かれ、さまざまな形式の橋が架けられて自由な回遊性を確保するとともに庭園内の景観にもなっていました。回遊する園路は、当時園内に存在した4つの茶屋へ誘うように巡っており、玄宮園が茶会を中心とした大名の社交の場となっていたことを裏付けています。
玄宮園では池泉護岸の保存整備を実施し、失われていた水田等の復元整備も実施しました。

玄宮楽々園(楽々園)の写真

楽々園は延宝5年(1677)に井伊家4代当主直興によって造営されたと伝わる下屋敷および隠居所であり、江戸時代には「槻(けやき)御殿」などの名前で呼ばれていました。13代当主直弼は隠居していた11代当主直中の子としてこの槻御殿で産声をあげています。現在の槻御殿は「玄関」「御書院」「地震の間」「楽々の間」などの建物で構成されていますが、11代当主直中の退隠時には現在の10倍近い規模の建物がありました。
御書院棟前面の庭園は、鈴鹿の山並が園外の眺望となっている座観式の庭園です。

埋木舎(うもれぎのや)

国指定【記念物】特別史跡彦根城内(昭和31年7月19日 特別史跡指定)

埋木舎の写真

 「埋木舎」は、のちに井伊家13代当主となる直弼が17歳から32歳までの15年間を過ごした屋敷です。直弼は11代当主直中の14男として生まれましたが、17歳で父親を亡くすと槻御殿(玄宮楽々園)からここに移されました。直弼は屋敷を「埋木舎」と名づけました。

 「世の中をよそに見つつもうもれ木の 埋もれておらむ心なき身は」

 直弼は一生を埋木舎で朽ち果てることを覚悟しましたが、失意のうちにも「なすべき業〔わざ〕」を見い出し、それに全力を傾けました。「なすべき業」として直弼が学んだのは禅、武術、能・狂言、国学・和歌、焼物そして茶の湯などでした。彼がこの時代に学び培〔つちか〕った精神が、のちに政治家直弼として大きく花開くことになります。

旧西郷屋敷長屋門(きゅうさいごうやしきながやもん)

市指定【建造物】(昭和48年4月28日指定)

旧西郷屋敷長屋門の写真

 現在この長屋門が建っているところは、天保7年(1836)の「彦根御城下惣絵図」によれば、老中・西郷伊予の屋敷にあたります。この長屋門は、寛保2年(1742)に西隣の庵原家で建てられたものを、明治16年(1883)に裁判所が整備されることに伴い現在の場所に移されたと考えられます。

 市内に残る長屋門の中で、もっとも大きいものです。

旧池田屋敷長屋門(きゅういけだやしきながやもん)

市指定【建造物】(昭和48年4月28日指定)

旧鈴木屋敷長屋門の写真

 天保7年(1836)の「彦根御城下惣絵図」によれば、池田斧介の屋敷にあたります。

 建物の向かって左手は道路をはさんで中堀に面しています。近くには井伊直弼が青年期を過ごした埋木舎があり、これら掘沿いの白壁の連なりは往時の武家屋敷界隈の姿をしのぶことができます。昭和48年(1973)に彦根市の指定文化財になりました。平成21年度から3年を費やして、全解体修理を実施しました。

旧鈴木屋敷長屋門(きゅうすずきやしきながやもん)

市指定【建造物】(昭和52年5月16日指定)

旧池田屋敷長屋門の写真

 天保7年(1836)の「彦根御城下惣絵図」によれば、鈴木権十郎の屋敷にあたります。

 正面より右に偏して門を設け、左には小部屋を連ねています。上半を白漆喰壁、腰より下を下見板張りとし、要所に格子窓を設けています。棟束に文久2年(1862)の墨書があり、幕末期の彦根藩中級武家屋敷の典型をなす長屋門です。

オオトックリイチゴ 

市指定【天然記念物】(平成19年1月25日指定)

オオトックリイチゴの写真

 バラ科キイチゴ属の一種で、彦根城以外には知られていない彦根城に固有の植物。現在は、天秤櫓前に株分けされたものが公開されています。

オオトックリイチゴの発見者は、日本の植物学の父と称され、多くの植物を発見・分類した牧野富太郎(1862~1957)です。

オニバス

市指定【天然記念物】(平成22年3月16日指定)

オニバスの写真

 スイレン科オニバス属の一種で、池や沼に生息する一年生の水生植物です。全体に鋭い棘が密生しているのが特徴で、滋賀県内では、過去に長浜市や草津市などで自生していた記録がありますが、現在では彦根城にしか生息が確認されていません。

彦根城の古写真

下記のリンクをクリックすると、古写真がご覧になれます

彦根城の古写真

5.天守

6.黒門

14.表門

15.馬屋

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観光文化戦略部 文化財課

電話:0749-26-5833

ファックス:0749-26-5899

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