彦根城の縄張り
大堀切
彦根城は南北に長い尾根を整地して、丸を連ねた連郭式〔れんかくしき〕の平山城です。南から「鐘の丸」「太鼓丸」「本丸」そして「西の丸」が直線的に連なっています。
彦根城を縄張り、つまり城本来の軍事的な防衛施設として見ると、その発達した様子がわかります。
彦根城には、本丸にいたる前後に構築された大堀切(おおほりぎり)があります。大堀切は、彦根山の尾根を断ち切るように構築された大きな空掘です。彦根城の正面である大手門と表門からの敵に対しては、両者が合流する天秤櫓(てんびんやぐら)の外側に大きな堀切が築かれています。現在は橋が架かっていますが、この橋がなければ天秤櫓の高い石垣を登らないと本丸方面へ侵入できません。同様に搦め手(からめて:裏手)からの敵に対しては、西の丸の三重櫓の外に大堀切があって侵入を阻んでいます。

登り石垣
彦根城には全国的にも珍しい登り石垣が、5か所に築かれています。登り石垣は、豊臣 秀吉が晩年に行った朝鮮侵略の際、朝鮮各地で日本軍が築いた「倭城(わじょう)」において顕著に見られるもので、高さ1~2メートルの石垣が山の斜面を登るように築かれています。斜面を移動する敵の動きを阻止する目的で築かれました。国内では彦根城の他には、洲本城(兵庫県)や松山城(愛媛県)などにしか見ることができません。彦根城では、この登り石垣の上にさらに瓦塀が築かれていたようです。

更新日:2024年09月02日