2 我宿蒔絵硯箱 等

更新日:2019年08月30日

我宿蒔絵硯箱

我宿蒔絵硯箱の写真
  • 重要文化財指定 昭和62年6月6日
  • 所有者 彦根市
  • 時代 室町

 寛永9年(1632)に死去した徳川秀忠の遺物として徳川家光より井伊直孝(なおたか)が拝領した品です。木瓜(もっこう)形の被蓋造りの硯箱で、蓋甲(かぶせぶた)には甲盛り(こうもり)があり、蓋と身の口縁に覆輪(ふくりん)を廻らしています。身には中央に覆輪を施した硯と注口付水滴を置き、その左右に筆架(ひっか)を納め、蓋、身とも表面は金梨地(きんなしじ)とし、籬(まがき)、菊、蝶、鴛鴦(おしどり)などを研出蒔絵(ときだしまきえ)で描いています。

彦根藩井伊家文書(ひこねはんいいけもんじょ)

彦根藩井伊家文書の写真
  • 重要文化財指定 平成8年6月27日
  • 所有者 彦根市
  • 時代 桃山~明治

 井伊家に伝来した藩主家文書(井伊家歴代に関わる文書)、大老文書(井伊直弼(なおすけ)の大老在任中の文書)、彦根藩文書(藩庁において作成された文書)を中心とする27,800通にもおよぶ文書群です。これらは井伊家や彦根藩政の歴史を伝えるのはもちろんのこと、特に直弼を中心とした幕末期の史料は、幕府史料としてもたいへん重要なものです。

太刀(たち) 銘国宗(二代)(めいくにむね(にだい)) 附井伊直忠寄進状一通(つけたりいいなおただきしんじょういっつう)

太刀 銘国宗(二代)の写真
  • 重要文化財指定 大正11年4月13日
  • 所有者 彦根市
  • 時代 鎌倉

 国宗は備前国直宗(なおむね)派の刀工で、これは鎌倉時代中期頃に活躍した二代国宗の作とみられます。伝来によると、天正18年(1600)小田原城北条氏攻めの一番鑓(やり)の褒賞として、井伊直政(なおまさ)から家臣へ授与されましたが、再び井伊家に進上されたものといわれています。

太刀(たち) 銘国宗(伯耆)(めいくにむね(ほうき))

太刀 銘国宗(伯耆)の写真
  • 重要文化財指定 昭和34年6月27日
  • 所有者 彦根市
  • 時代 鎌倉

 文化9年(1812)12代藩主となった直亮(なおあき)の指料(さしりょう)です。太刀姿が腰反り(こしぞり)、小鋒(こきっさき)をもつ鎌倉時代初期の特徴があり、刃文は沸出来(にえでき)の小乱(こみだれ)で、鍛(きたえ)もやや荒びた感があることなど、伯耆物の特徴が見られます。伯耆国宗の作刀の中で最も優れた出来のひとつです。

紙本金地著色風俗図(彦根屏風)(しほんきんじちゃくしょくふうぞくず(ひこねびょうぶ))

紙本金地著色風俗図(彦根屏風)の写真
  • 国宝指定 昭和30年2月2日
  • 所有者 彦根市
  • 時代 江戸

 代々彦根藩主であった井伊家に伝わったため「彦根屏風」の名がある、江戸時代寛永期(1624~44)の風俗図における代表的な名作です。華やかな衣装をつけた異風の男と女、洋犬をつれた女、恋文を渡す文使いの少女、三味線をひく男女、双六遊びをする男女、恋文を書く女などの15人の男女が描かれています。本図の筆者は不明ですが、画中画の山水図や見事な画面構成から、かなりの筆力を持った狩野派(かのうは)の人物であることがうかがわれます。

絹本著色他阿真教像(けんぽんちゃくしょくたあしんきょうぞう)

紙本金地著色風俗図(彦根屏風)の写真
  • 県指定 平成10年6月4日
  • 所有者 高宮寺
  • 時代 室町

 高宮寺の草創を描いたもので、室町時代の制作とみられています。絵図の中ほど左には蓮華(れんげ)の上に立つ老僧・他阿真教(たあしんきょう)の姿が、その下には蓮池と、高宮寺を創建した僧・切阿上人(せつあしょうにん)、武士・高宮宗忠(むねただ)とみられる人物の姿が描かれています。この絵図には、群青(ぐんじょう)や金粉を多用した鮮やかな色彩がほどこされており、描写は精緻(せいち)な筆づかいで、三人の人物の風貌には生気が感じられます。

彦根藩井伊家伝来具足(ひこねはんいいけでんらいぐそく)

井伊家伝来甲冑類の写真
  • 県指定 平成27年3月24日
  • 所有者 彦根市
  • 時代 桃山~江戸

 県指定文化財「彦根藩井伊家伝来具足」(25領)、市指定文化財「井伊家伝来甲冑類」(60点)は、旧彦根藩主井伊家に伝来した、歴代藩主が使用した具足〔ぐそく〕(鎧〔よろい〕や冑〔かぶと〕)を中心とした当世具足(近世に製作されたもの)類で、県指定、市指定合わせて81点におよぶものです。このように多くの具足が伝えられていることは、全国でも数少なく貴重な例です。また、「井伊の赤備〔あかぞな〕え」と言われるように、歴代藩主の赤具足が、5代直通〔なおみち〕と14代直憲〔なおのり〕を除いて伝えられているとともに、当時の名工であった明珍家〔みょうちんけ〕や早乙女家〔さおとめけ〕等の製作者銘がある具足の他、銘や形態から室町時代の製作とわかる冑〔かぶと〕等も伝来しています。この他、小袴〔こばかま〕・上帯〔うわおび〕・足袋〔たび〕等や鞭〔むち〕・指物〔さしもの〕・采配等が付属品として残っているものもあり、中世から近世にかけての甲冑の歴史を示す貴重な文化財です。

御城内御絵図(ごじょうないおんえず)

御城内御絵図の写真
  • 市指定 平成18年2月23日
  • 所有者 彦根市
  • 時代 江戸

 大型の紙面いっぱいに彦根城の第1郭部分の天守や櫓、石垣等の配置を描いた精度の高い絵図です。彦根城跡の調査研究資料であるとともに、今後の保存整備のための資料として、学術価値の高い一級の資料です。

紙本著色関ヶ原合戦図(木俣家本)(しほんちゃくしょくせきがはらかっせんず(きまたけぼん))

第2扇、第3扇中央部

  • 市指定 平成21年2月13日
  • 所有者 彦根市
  • 時代 江戸(後期)

 慶長5年(1600)9月15日の「天下分け目の戦い」といわれる関ヶ原合戦の様子を描いた図。

同合戦は、徳川家康率いる東軍と石田三成らの西軍が美濃の関ヶ原で交戦し、東軍が勝利しましたが、その中の勝敗がほぼ決した午後の戦況が描かれています。

 関ヶ原合戦を題材とした絵画は、合戦直後から江戸時代を通じて多く作られていますが、本構図の特徴は、江戸時代に流布していた軍記物に叙述される逸話が多く盛り込まれ、旗印により諸隊が判別できる点です。 当時、一般に認識されていた関ヶ原合戦を図像化したものであり、江戸時代の人々に認識されていた関ヶ原合戦の様子を一隻に集約したものとして高く評価できます。また、この種の関ヶ原合戦図は井伊家本など6件が知られていますが、それらの中で木俣家本は絵画作品として優れており、さらに江戸時代の歴史認識や先祖顕彰意識を読み解く歴史資料として、彦根にとって大変貴重な作品です。

関ヶ原合戦図の写真

彦根城表御殿能舞台(ひこねじょうおもてごてんのうぶたい)

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