全体事業計画の概要

更新日:2019年08月30日

(1)事業名

 楽々園保存整備事業

(2)事業期間

 平成17年~平成37年(予定)

(3)事業費

 約18億円

(4)保存修理内容

 平成4年作成の「特別史跡彦根城跡整備基本計画」において彦根城全体の整備イメージを「江戸時代後期」と位置づけており、統一的な整備を図るため同時代を基本に整備を行います。
 建物の中で、文化年間(1804~1817)以降に下屋敷を構成していた建物のうち、「御書院」や「地震の間」などの現存する歴史的建造物は、解体修理等の保存整備を図る。現存しない御書院の北側に位置する茶室「虎踞〔こきょ〕」や長屋門、塀重門〔へいじゅうもん〕等については、復元整備を図ります。
 また、既存建物のうち、名勝庭園にふさわしくない明治時代以降に建てられた「台所・浴室」などの建物は解体撤去するとともに、一般公開等の活用に備えて事務室等の便益〔べんえき〕施設の整備を図ります。
 楽々園には、前庭・坪庭・園路などが絵図に描かれており、本保存整備に並行して整備を図ります。
 なお、今回の保存整備は、発掘調査や部材調査等を実施して、調査結果を踏まえ、可能な範囲で部材の再用を図りながら進めていきます。

(5)整備後の活用法

 「御書院」や「地震の間」等の既存建物は、下屋敷の歴史が辿れる建物として一般公開を図ります。
 「新東西の間」や「鳰の間」等の既存建物については、一般公開するとともに、市民の文化的な活動に利用できるように整備を進めていきます。

(6)整備実施計画(修理方法と実施予定年度)

第1期(平成17年度~平成22年度)

 玄関や御書院の解体修理、浴室・便所の解体撤去ならびに発掘調査等

第2期(平成23年度~29年度)

 地震の間、雷の間、楽々の間等の歴史的建造物および松の間、新座敷の間等の明治時代以降に建てられた建造物の屋根の葺き替え等の部分修理

第3期(平成30年度~37年度(予定))

 長屋門や塀重門の復元、活用のための展示や事務室等の復元的整備および前庭の整備等

(7)楽々園の歴史

 楽々園は、彦根藩4代藩主の井伊 直興〔なおおき〕により延宝〔えんぽう〕5年(1677)から2年を要して造営された彦根藩の下屋敷です。11代藩主井伊直中の隠居〔いんきょ〕に際して大規模な増改築が行われ、全盛期を迎えましたが、その後は縮小傾向に転じ、現在に至っております。
 建物は、「御書院」、「地震の間」、「楽々の間」等の建物で構成され、「御書院」の奥は渓谷〔けいこく〕の風情をなしており、「地震の間」、「雷の間」、「楽々の間」へと連なっています。「地震の間」は耐震構造の建物であるため今日そう呼ばれていますが、本来は茶の湯に用いられた「茶座敷」でした。「楽々の間」も「地震の間」と同じように数寄屋建築で、12代藩主直亮〔なおあき〕により増築されたもので、「楽々園」の名の由来ともなった建物です。
 ただ「楽々園」と呼ばれるようになるのは明治時代以降のことで、江戸時代には、「黒門外御屋敷」と呼ばれていました。
 また、明治14年(1881)から平成6年(1994)にかけて民間業者が旅館を営業しておりましたが、昭和22年(1947)に「玄宮園」とともに「楽々園」を井伊家より市が取得し、旅館の廃業により建物等が市に返還され今日に至っています。
 なお、現在は、建物の老朽化が顕著であるため、内部公開はしておりません。

この記事に関するお問い合わせ先

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