歴史 曽根沼

以前、約96ヘクタールあった水面は、昭和36年から始められた干拓により約20ヘクタールにまで減少しました。干拓地の標高は82.7メートルで琵琶湖の平均水位より1.8メートル低いため、中央部に排水路が設けられ、その北側に排水機が設置されています。
東大寺正倉院所蔵の麻布の絵図のひとつには、現在の曽根沼がある所に荘園が描かれています。つまり当時(751年)は低地ながらも陸地だったと考えられます。しかし荒神山の山陰にあたり、宇曽川や愛知川の堆積がもっともおよびにくい部分であるため、やがて沈水して内湖になったと考えられます。
更新日:2024年09月02日