【第21回】なぜ、お城の中に能舞台があったのか?

なぜ、お城の中に能舞台があったのか?
能は、幕府の公的な行事の際に開催され、全国の大名もこれに倣いました。彦根藩でも、正月や先祖供養の日などに能が催されました。
能は、単に芸能を楽しむだけでなく、藩主と家臣が一緒に物語に感動し、価値観を共有して、話し合いの政治をスムーズにするための重要な催しでした。
彦根城博物館にある能舞台は、明治以降、他の場所に移動されていましたが、博物館建設の際に元の位置に戻された「本物」で、世界遺産の価値に関わる重要な文化財です。

能は、長い場合は丸一日演じられました。
- 武士A「今日は表御殿の能の日やな!」
武士B「私は、今回初めて能を見ますわ!」 - 武士A「そうか、そうか、能はええもんやで~。殿も好きみたいやし。(先輩風)」
武士B「そうなんですね!楽しみですわ~。」 - 能上演中
武士B「おお!これが能か!」
武士A「この次の謡がええんやで。悲しい話やで~。(先輩風)」 - 四時間後
武士A、殿様(げっそり)「・・・・。」
武士B(げっそり)「長・・・。」
(広報ひこね2024年11月号掲載)
更新日:2025年09月05日